gol.×MUSASHI 高校生Mr.フットサルコンテスト★グランプリ・準グランプリインタビュー

201512月にスタートした『gol.×MUSASHI高校生Mr.フットサルコンテスト #mfコン』(協賛:株式会社ゴルジャパンインフィニティ株式会社)は、1次の書類審査、2次の一般投票、最終の一般+協賛会社+実行委員会投票を経て、223日にグランプリ、準グランプリが決定した。

見事グランプリに輝いたのは、リガーレ東京ロコス/FOOTBOZE FUTSAL U-18の菊池慧くん。そして、準グランプリには東京成徳大学高校フットサル部の松谷健介くんが選出された。

313日(日)、コンテストに商品提供をしてくださったgol.が経営するカフェ『mf』にて表彰式が開催され、菊池くんと松谷くんは、実行委員のU-18フットサルチームのマネージャーたちに囲まれながら、笑顔で喜びを語ってくれた。

準グランプリ・松谷健介くん(左)グランプリ・菊池慧くん(右)

準グランプリ・松谷健介君(左)グランプリ・菊池慧君(右)

―この度は、グランプリ、準グランプリ受賞、おめでとうござます!まず初めに、mfコンに応募した理由を教えていただけますか。

松谷 ユース年代のフットサルを盛り上げたいと思ったのと、自分自身、こういう企画に応募していろいろな形でフットサルに携わっていきたいと思って応募しました。

菊池 僕もフットサルを盛り上げたいなと思いました。

gol.さんからウエアを贈呈されました

gol.さんからウエアを贈呈されました。mfの有坂さん(中央)ありがとうございました!

―mfコンに参加しての感想をお聞かせください。

松谷 恥ずかしかったですけど、最後こういう形で終えることができて楽しかったです。

菊池 この企画を通してチームのみんなともっと仲良くなれたし、こうやって他のチームの選手とも会えたので良かったです。

―松谷くんのことは以前から知っていたんですか?

菊池 話したことはなかったんですが、(菊池くんが所属するリガーレ東京ロコスと松谷くんが所属する東京成徳大学高校フットサル部が)オープンリーグが一緒だったので知ってはいました。松谷君のことは、背が高くてイケメンだなと思っていて、周りの人にも、カッコいいよねと言っていました。

―松谷くん、褒められていますね(笑)。松谷くんは菊池くんに対してどういう印象を持っていましたか?

松谷 フットサルが上手くて、試合中のフットサル選手としての頭の良さを感じていました。

 ―mfコンに応募して、周りの方はどんな反応したか?

松谷 投票期間中はみんな気にかけてくれて、がんばってねと言ってくれたので嬉しかったです。

菊池 リガーレ東京のトップチームのサポーターの方たちやチームメイト、他にもたくさんの方たちが応援してくれたので感謝しています。

―今回商品を提供してくださったフットボールブランドgol.の印象を教えてください。

松谷 デザインが格好いいと思っていました。自分でもプラシャツを持っています。

菊池 おしゃれなイメージがあっていいなと思っていましたが、じっくり商品を見たことはなかったので、これから着てみたいと思います。

―アミノ酸サプリメントMUSASHIについては知っていましたか?

アミノ酸サプリメントMUSASHI

アミノ酸サプリメントMUSASHI

松谷 いえ、今回のコンテストで知りました。

菊池 リガーレのトップチームの選手が飲んでいたりフットボウズの選手が何人か飲んでいたりしたので知っていました。僕自身は飲んだことはなかったです。

―MUSASHIの製品の中で菊池くんがKUANを選んだ理由を教えていただけますか。

菊池 筋肉を付けたいなと思ってこれにしました。プロテインを毎日飲んではいるんですがあまり効果を感じないので、パワーアップが出来ると言うKUANをプラスで飲んで身体づくりをしたいと思います。

こちらのカフェ、mfは初めてということですが、印象はいかがですか?

松谷 おしゃれでフットボールな感じでいいと思います。

菊池 落ち着いた雰囲気ですね。お店の中でサッカーの映像が観られるのが嬉しいです。ワクワクします。

ここからは実行委員のマネージャーさんからの質問です♪

マネージャーさんから2人に質問

マネージャーさんから2人に質問

「趣味は何ですか?」

松谷 映画を観に行くことです。

菊池 僕も映画好きですね。

実行委員 2人で一緒に行けばいいかも(笑)

 「嫌いな食べ物は何ですか?」

松谷 トマトです。

菊池 果物とかチーズとか…好き嫌い多いですね。

実行委員 え~、果物?!

「理想のマネージャー像は?」

松谷 フットサルが好きであればいいと思います。

菊池 今までマネージャーがいたことがないのでよく分からないですけど...チームの一員として仲良くできて、フットサルが好きな人、ですかね。

では最後に、お二人のフットサルの目標を教えてください。

松谷 自分が今所属している高校の部活のチームで全国大会目指して頑張りたいです。部活を引退した後は、自分が今目指しているチームに入れるように努力して、ずっとフットサルに携わっていきたいと思います。

菊池 来年度に関しては、リガーレ東京ロコスでチャレンジリーグで優勝して、東京都の3部に上がることが目標です。その後は、リガーレ東京のトップに上がって、関東リーグで堂々とプレーできるようになって、Fリーグに行けるように日々練習を頑張って行きたいと思います。

株式会社ゴルジャパン様より、グランプリの菊池慧くんにプラクティスシャツ&パンツ3セット、準グランプリの松谷健介くんにプラクティスシャツが贈られました。

インフィニティ株式会社様より、グランプリの菊池慧くんにアミノ酸サプリメントMUSASHIのKUAN(パワーアップ)6カ月分とNI(リカバリー)3カ月分、準グランプリの松谷健介くんにアミノ酸サプリメントMUSASHIのNI(リカバリー)8本入り1箱とREPLENISH(多機能パフォーマンスドリンク)10袋入り1箱が贈られました。

株式会社ゴルジャパン様、インフィニティ株式会社様、mfコンに応募してくださた皆さん、投票してくださた皆さん、実行委員の皆さん、本当にありがとうございました!

菊池慧くん、松谷健介くんの今後の活躍に期待しています!応援しています!!

グランプリ、準グランプリ、実行委員で記念撮影

グランプリ、準グランプリ、実行委員で記念撮影

2016年3月14日 | カテゴリー :

2016年度多摩大学フットサル部新入生 石田健太郎選手・山中勇輝選手・金須恭弥選手インタビュー

今年度、創部4年目にして初出場の全日本大学フットサル大会で全国第3位という快挙を達成した多摩大学フットサル部は、2016年4月に特別給費生10名を迎え、福角有紘監督のもと、「大学日本一」に向かって始動する。

今回は、入部前のメディカルチェックのために多摩大学を訪れた、石田健太郎選手(帝京長岡高校サッカー部、新潟県U-18フットサル選抜)、山中勇輝選手(アズヴェール藤沢ユース、神奈川県U-18フットサル選抜)、金須恭弥選手(聖和学園高校サッカー部、U-18フットサル日本代表候補)に多摩大学を選んだ理由、目標や夢などを伺った。

多摩大学フットサル部特別給費生

多摩大学フットサル部特別給費生の皆さん

―メディカルチェックとフィジカルトレーニングお疲れ様でした。早速ですが、インタビューを始めさせていただきたいと思います。まず初めに、皆さんが多摩大を進学先に選んだ理由を教えていただけますか。

石田:高校卒業後はフットサルをしたいという気持ちがあって、多摩大は強豪ということで決めました。

山中:自分は高校でもフットサルをやっているので多摩大学のことは知っていて、設備が良くて大学内のアリーナが使えるというのが一番の決め手でした。あとは、ゴールキーパーから得点に繋げるという自分のプレースタイルが多摩大に向いているのではないかと思って決めました。

金須:高校ではサッカーをやっていてまだフットサルを知らない部分があるので、大学の強さよりも、福角監督の下でやりたいと思って多摩大学を選びました。

―高校ではサッカーをしていた石田選手と金須選手ですが、何故フットサルをしようと思われたのですか?

石田:自分は狭い局面でのプレーを得意としているので、コートが狭くてボールを触る機会が多いフットサルに興味を持ちました。

―これまでフットサルの経験はあったのでしょうか?

石田:新潟は雪が降るので、小学生くらいから冬はずっとフットサルをやっていました。

―金須選手はフットサルのどんな所に惹かれましたか?

金須:ゴールとゴールの距離が近くて、常に局面というのが面白いと思いました。あとは、中学(聖和学園の下部組織)、聖和学園での練習が狭い所でのミニゲームが多かったんですが、その聖和の選手たちの中でも、特に自分は狭い所で技術を発揮するプレースタイルなので、フットサルではそれが生きるかなと思ってやってみたいと思いました。

―大学での個人目標を教えてください。

石田:U-18のフットサル日本代表ができたので、まずそこに入りたいというのが一つの目標です。また、大学日本一も4年間獲り続けたいです。

山中:自分もU-18フットサル日本代表を目指していきたいのと、U-23の東京都選抜にも是非参加して、関東リーグの方々と一緒にプレーできたらと思っています。

金須:まずは、U-18フットサル日本代表として試合に出たいです。あとは、大学で全国一位ですね。

フィジカルトレーニングの様子

フィジカルトレーニングの様子

―今日のフィジカルトレーニングの感想をお聞かせください。

石田:高校ではこういう練習がなかったんですが、今日やってみて、こういうのがこれから必要なんだなと感じました。これから自分でも毎日取り組んでいくようにしたいです。

山中:大学に入って遅れを取らないように、今のうちから自分でもやっていこうと思いました。

金須:今まで身体という部分で何もしてきていなくて、今日、自分の足首の硬さを実感しました。足首の怪我をしやすいので、これからはもっと身体の面も気を遣っていこうと思いました。

―フィジカルトレーニングに取り組もうという意識が芽生えたということですが、他に入学までに準備しようと思っていることはありますか?

石田:引っ越しも終わったので、入学前から練習に参加させていただいて、早くフットサルに慣れていきたいです。

山中:まずは関東大会、全国大会があるので、そこでしっかり結果を出しながら、大学に入るまでにもっと自分の技術を上げられるように頑張りたいです。

金須:地元の友達が入っているフットサルチームに練習参加させてもらえるので、そこでフットサルをもう少し学べたらいいかなと思います。

―ここからは、現在の活動について伺っていきたいと思います。石田選手は新潟県U-18選抜としてGAViC CUPユースフットサル選抜トーナメント2016に出場されますが、選抜のメンバー構成について教えていただけますでしょうか。

石田:ほぼ帝京長岡のメンバーで監督も帝京長岡の監督ですが、長岡向陵高校の選手も何人か加わります。その長岡向陵の選手たちは中学の時に一緒に(全日本ユースU-15フットサル大会で)日本一になったメンバーです。

―皆、気心の知れた仲間ということですね。では、GAViC CUPユースフットサル選抜トーナメントへの意気込みを聞かせてください。

石田:全日本ユース(U-15)フットサル大会では新潟が4連覇しているので、自分たちもGAViC CUPで優勝して、これからもっと新潟にフットサルを広めていきたいです。

―山中選手は神奈川県U-18選抜として、まずは2月28日のユースフットサル選抜トーナメント関東大会に出場するわけですが、選抜の練習などは順調ですか?

山中:Fリーガーの植松晃都選手を中心として、みんな神奈川県のフットサルリーグの選手なので、ある程度フットサルの知識がある上で、細かいコミュニケーション等を高めて行っているところです。関東大会に勝って全国に出たいと思います。

―最後に、皆さんに将来の目標、夢を伺いたいと思います。

金須:まずはU-18日本代表で自分らしさを出して、アジア大会(AFC U-20フットサル選手権2017)で日の丸を背負いたいです。そして、Fリーグでプレーして、A代表でもプレーしたいです。

―ご自身が思う自分らしさとは?

金須:足もとの技術だと思っています。それをここという所で出せたらいいと思っています。

―石田選手はいかがでしょうか?

石田:卒業後はFリーガーになりたいと思っています。それで代表に入って、いずれは世界で活躍できる選手になりたいと思っているので、自分の良さをどんどん出して行って、大学でどんどんアピールしていきたいです。

―ご自身の良さとは?

石田:帝京長岡はパスサッカーを基本としているのでパスの部分には自信を持っていますし、状況判断できるというのが一番の武器だと思っています。

―では最後に、山中選手の将来の夢を教えてください。

山中:大学卒業した後はFリーグやスペインのプロのチームでやりたいなと思っています。自分の同世代の神奈川ユースリーグの選手たちはFリーグの下部組織を受けている選手が多いですが、自分は多摩大学で4年間しっかり技術を上げた後にFリーグのチームに入れるように頑張りたいです。

左から金須選手、山中選手、石田選手

左から金須選手、山中選手、石田選手

 石田選手、山中選手、金須選手、ありがとうございました!皆さんのご活躍をお祈りしています!!

【選手プロフィール】

◆石田健太郎(イシダ ケンタロウ) 

<経歴>

小学校:長岡JYFC U-12

中学校:長岡JYFC U-15

全日本ユース(U-15)フットサル大会全国優勝

高校:帝京長岡高校サッカー部

2016年度新潟県U-18フットサル選抜

 ◆山中勇輝(ヤマナカ ユウキ) 

<経歴>

小学校:FCソレイユ

中学校:横浜隼人中学サッカー部

高校:sharks(ハワイ)→FFF八ツ橋→アズヴェール藤沢U-18

2015年度、2016年度神奈川県U-18フットサル選抜

 ◆金須恭弥(キンス タカヤ)

<経歴>

小学校:アバンツァーレ仙台SC

中学校:FCエナブル

高校:聖和学園高校サッカー部

U-18フットサル日本代表候補

2016年2月22日 | カテゴリー :

第2回Copa futsal R U-18★ベスト5★

FOOTBOZE FUTSAL U-18 9番 村上拓也選手

P11508901999年東京都生まれ。高校2年生。

小学校3年生から東京都三鷹市のFOOTBOZEでフットサルを始める。東京都ユース(U-15)フットサルリーグ選抜。東京都ユース(U-18)フットサルリーグトレセン。

座右の銘は「継続は力なり」

FOOTBOZE FUTSAL U-18 1番 野澤拓実選手

P11508841998年東京都生まれ。高校2年生。

小学校1年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。中学1年の時、中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始める。高校入学と同時に東京都三鷹市のFOOTBOZE FUTSALに入る。東京都ユース(U-18)フットサルリーグトレセン。

座右の銘は、高杉晋作の「おもしろき こともなき世を おもしろく」

―ベスト5おめでとうございます。まずはベスト5に選ばれた感想をお願いします。

村上:1試合目も2試合目も失点に絡んでしまってあまり良くなかったので、ベスト5には選ばれないと思っていたんですが、選ばれてよかったです。

野澤:1試合目、2試合目ともに目立ったプレーが出来なくて、正直、自信はなかったんですけど、選ばれてとても嬉しいです。

―今大会で印象に残ったチーム、選手は?

村上:ロンドリーナには今年の夏の全日本ユースで負けていて、16番の吉森選手と31番の植松選手にやられた部分があったので、今回はやられないように意識していました。今日は勝ちましたが失点はしてしまったので、そこは反省しなければいけない所かなと思います。

野澤:中央学院高校選手はみんなフィジカルが強いので、シュートも飛んでくると思って、全員のロングシュート、ミドルシュートをケアしながら注意深く試合をしていました。

―ご自身のストロングポイントを教えてください。

村上:ディフェンスの時の前からプレスをかけることや、足の速さを活かして、裏のスペースへ飛び出してパスを受けたりするのが得意なところです。

野澤:自分のストロングポイントは体の柔らかさです。低いシュートの左隅とか右隅を止めるのは得意です。

―目標にしている選手は?

村上:バルドラール浦安の加藤竜馬選手は、身長もあまり高くなくて足が速いという部分で自分と似ているので参考にしています。

野澤:名古屋オーシャンズの篠田龍馬選手を目標にしています。身長が僕とほとんど同じで小柄なのに頑張っているところを尊敬しています。海外だと、エルポソのラファ選手に憧れを持っています。

―フットサルに対する思い、目標を教えてください。

村上:これからもっと上のレベルに行って日本でも海外でも活躍できる選手になりたいので、そのために、普段の生活から取り組まなければならないことがあるので、そういうことをコツコツやっていって成長していきたいです。

野澤:中学高校と、学校生活よりフットサルを優先して頑張ってきたので、Fリーグのチーム入って、名古屋オーシャンズの篠田選手を超える様な選手になりたいです。

―5年後の自分を想像してください。

村上:Fリーグのピッチに立って、活躍しています。

野澤:5年後はワールドカップがあるので、日本代表のキーパーのポジション争いができるように頑張っていきたいです。

P.S.T.C.LONDRINA U-18 16番 吉森慎斗選手 

1997神奈川県生まれ。高校3年生。P1150865

小学校5年生の時にP.S.T.C.LONDRINAに入り、中学高校もP.S.T.C.LONDRINAでプレーを続ける。高校1・2年時にユースフットサル神奈川県選抜に選出される。

座右の銘は「笑いたいやつは笑え」


P.S.T.C.LONDRINA U-18 31番 植松晃都選手

1998年神奈川県生まれ。高校3年生。P1150868

5歳の時にP.S.T.C.LONDRINAでフットサルを始める。小学1年時にFC上大井でフットサルとサッカーの2つを始め、小学校6年時にはサッカーとフットサルの2つで神奈川県選抜に選ばれる。中学はP.S.T.C.LONDRINA JYに所属し、中学1年時にはサッカーの神奈川県選抜に選ばれる。高校はP.S.T.C.LONDRINAユースに所属し、1年、2年時にユースフットサル神奈川県選抜に選ばれる。高校1年の9月に湘南ベルマーレに特別指定選手として登録される。フットサル日本代表候補。U-18フットサル日本代表候補。

座右の銘は「摩頂放踵」

―まず初めに、ベスト5に選ばれた感想をお願いします。

吉森:ベスト5に選んでいただき、ありがとうございます。これからも選ばれただけの能力を出していきたいと思います。

植松:チームとしては全国で3位を取ってきたチームなので、今日は個人としても目立ちたかったということで、ベスト5に選ばれてとても嬉しく思います。

―試合を振り返ってみていかがですか?

吉森:1試合目は自分の予想を超えるようなシュートが決まって嬉しかったんですが、決勝戦では失点に絡んでしまったので、そこは苦い思いをしました。

植松:ゴール前まではいい形を作れるんですが、そこからの決定力が低いなと1試合目(vs 東京都ユースリーグトレセン)から思っていました。1試合目は4点取れたんですが、もっと点を取れた場面はあったので、もっと確実に決めなければいけないなと思いました。決勝(vs FOOTBOZE FUTSAL U-18)でも、もっと決められる部分はあって、しっかり決められていれば勝てたかもしれない試合だったので悔しいです。

―印象に残った選手はいますか?

吉森:府中アスレティックFCのゴレイロ(山田正剛選手)がすごく反応が良くてびっくりしました。

植松:フットボウズはみんな走れるしドリブルを仕掛けられるなと思いました。他のチームもドリブルが上手い選手が多くて、全体的によかったです。

―ご自身のアピールポイントは?

吉森:自分はスピードがある方なので、ドリブルを積極的に仕掛けていきたいです。ドリブルが自分の武器です。

植松:1対1の仕掛けが強みだと思うので、抜いた後のシュートまでをもっと確実に出来たらなと思います。

―目標、憧れの選手はいますか?

吉森:サッカー選手になってしまうんですけど、メッシとかロナウジーニョとか足技のある選手に憧れています。

植松:湘南ベルマーレの小野大輔さんです。何でもできる選手なので本当に尊敬しています。

―フットサルに対する思いを聞かせてください。

吉森:高校生の年代では絶対に相手に負けないという思いで毎試合やっています。

植松:僕はフットサルをやりたくてやっているので、サッカーが無理だからフットサルという考えの人には負けないようにと思っています。

―フットサルのどんな所が好きですか?

吉森:サッカーと違ってばんばんボールが回って来るところとか、相手との距離が近いところがぞくぞくします。

―5年後はどうなっていると思いますか?

植松:23歳・・・。ベルマーレの中心選手になっていることを目標に頑張っていきたいです。

府中アスレティックFC U-18 9番 矢嶋佑己選手 

P11508771997年東京都生まれ。高校3年生。

小学1年生から地域のサッカーチームに入る。2年生からサッカーと並行して府中アスレティックFCのスクールでフットサルを始める。中学からはサッカーから離れ、府中アスレティックFC U-15、U-18でフットサルに専念。

座右の銘は「勇猛果敢」

―ベスト5の感想をお願いします。

矢嶋:正直、無得点だったので選ばれると思っていなくて、嬉しい気持ちとびっくりしているのとで、ぐちゃぐちゃしています。

―試合を振り返って、印象に残った選手だとか試合はありますか?

矢嶋:それは、ロンドリーナの試合で植松晃都選手です。同じ年代なのに差を感じました。これからその差を埋めないとFにはいけないと感じましたし、本当にいい刺激をもらいました。

―具体的に、どういうところに差を感じましたか?

矢嶋:1対1の強さですかね。

―それは、身体の部分ですか?それとも足元の技術の部分ですか?

矢嶋:両方です。ドリブルする時も、ただずらしてシュートじゃなくて、そこに切り返しを入れたりだとか。身体はそんなに大きくないのに、やはりみんなとは違う強さがあったから、そういう部分ですね。

―そういう部分では、矢嶋選手もピヴォでタメを作る部分というのはかなり多かったとは思うんですが、今後更にこうなっていきたいというのはありますか?

矢嶋:ピヴォとしては、やはりチームの中の自分の役割は点を取ることだと思っていて、今日も無得点で終わっているのでそこは悔しいですし、これからはピヴォで活躍しつつアラとしても点に絡めて、アラとピヴォの両方で活躍できる選手になりたいと思っています。

―目標にしている選手はいますか?

矢嶋:一番憧れているのは名古屋オーシャンズの森岡薫選手。ピヴォでもアラでも点に絡めるので、本当に目標にしています。

―今、高校3年生ですが、来年はサテライトでプレーをする予定ですか?

矢嶋:サテライトに上がれるかは決定していなくて今は練習生ですけれども、ゆくゆくはFリーガーになれるように、今は練習するだけかなと思っています。

―5年後にどうなっていたいですか?

矢嶋:一番の目標はFリーガーになることで、Fリーガーになる以上は日本代表も目指していきたいです。

第2回 Copa futsal R U-18★ベスト5★

第2回 Copa futsal R U-18★ベスト5★

多摩大学フットサル部 部長・川口達也選手インタビュー『大学フットサルから次のステージへ』

福角有紘監督のもと、質の高い環境でトレーニングに日々打ち込んでいる多摩大学フットサル部。今回は、発足から監督と共にチームを作り上げ、現在では部長としてフットサル部をとりまとめるGK川口達也選手に、実際の練習内容や部活動を通して得たもの、今後の目標などを伺った。川口セーブ

 ― 本日は、よろしくお願いします。

川口です。よろしくお願いします。

― 早速ですが、一番気になるところから質問をさせていただきます。多摩大学フットサル部の練習は厳しいですか?

厳しいですね…。

― メンタル的に?それとも身体的にでしょうか?

トータルでですね。プレッシャーもかけられますし。

― どういったプレッシャーですか?

監督から「(本番でも)それでいいのか!!」と厳しく言われ、練習の中でも本番と同じようにプレッシャーをかけられています。でも、その練習での厳しさおかげで、本番ではすごく楽にやれているというか、のびのびプレーできていますね。

― 福角監督は「練習が一番難しくて試合では緊張しないという状況を作りたい」とおっしゃっていたので、まさに狙い通りの練習が出来ているということですね。試合でのびのびやれるというのは理想ですね。

はい、試合の方が練習の時よりパフォーマンスがいいんです。それと、試合で大きなミスをしてしまった時には監督が来てくれて「あの時はこうした方が良かったんじゃない」とアドバイスして下さるので、自分の内に秘めておかずに済んで、終わった時には前向きになれていることが多いですね。

― 専門的な(フットサルに特化した)フィジカルコーチが指導してくれているとのことですが、それについてはどう感じていますか。

フィジカルコーチにはすごく感謝しています。フィジカルコーチが来てくれるようになった当初、僕は膝を怪我していてすごくコンディションが悪かったんです。なので、全然うまくいかなくて…でも、フィジカルコーチの言うことを守って一生懸命トレーニングしたら結果がついてきて、レギュラーも取れて、選抜活動などにも呼ばれるようになりました。

― 多摩大学フットサル部は「オフ・ザ・ピッチ日本一」というスローガンを掲げていますが、チームとしてそれは実行できていますか。川口選手1

今年初めて1年生から4年生までが揃いチームが大きくなったことで、緩むところも多くなってきたというのが現状です。この前の関東大学フットサルプレリーグでの試合ではオフ・ザ・ピッチの部分が疎かになってしまいました。試合には勝ったのですが、勝っても嬉しくないというのがチームみんなの感想だったので、監督と僕とで話し合い、次の練習でAチームとBチームの入れ替えを行いました。Aチームの選手でオフ・ザ・ピッチの部分ができていない選手はBチームにして、Bチームでプレーはもちろん、オフ・ザ・ピッチもできている選手をAチームにしたんですが、オフ・ザ・ピッチができている選手はAに上がってもプレーが良かったんです。ここで一回、AとBを入れ替えたことで一体感が生まれたので、やってよかったと思います。

― 入れ替えによって、チーム内で「オフ・ザ・ピッチ」についての共通認識が高まったということですね。

はい、「オフ・ザ・ピッチを緩くするとBに落ちる」という意識付けができ、4年生の僕らが何も言わなくてもみんなが自然にやれるようになってきました。

― 次に、将来について伺いたいのですが、川口選手はこれからどのようにフットサルと関わっていきたいと思っていますか。

Fリーグに行きたいです!!

― Fリーグのどこに行きたいという希望はありますか。

今は特にないですね。自分のスタイルが合わせられる、合うところにいきたいです。

― ご自身のスタイルとは?

攻撃的なキーパーというのが自分のスタイルです。スローが強みですね。守るだけのキーパーは沢山いるので、自分の中では「勝たせられるキーパー」というのを芯に置いています。受けるだけではチームは勝てないので、攻撃の起点になれるようには意識していますね。空いているならスローやキックで最前線にボールをつなぎ、味方がすぐにシュートを打てるならそれが一番いいと思います。そのスタイルがフィットするところに行きたいなと思います。

― いつ頃から、Fリーグでやりたいという思いを抱くようになったのですか?

入学当初はあまりなかったんですが、選抜活動にも参加するようになってから意識するようになりましたね。今年の長野オープン(U-23選抜フットサル大会)でフウガドールすみだバッファローズの選手たちと一緒にやったんですが、その中からFリーグに上がる選手が出たことも刺激になりました。トップの世界を一回は味わってみたいなと思います。僕がもしFリーグで活躍することができれば、それまで所属していたチームに対して恩返しができますし、そこに喜んでくれる人たちがいると思うので、そのためにも、頑張りたいなと思います。

川口選手3

川口達也選手(中央)とfutsal Rスタッフ

近い将来、川口選手の夢が叶うことをお祈りしています!本日はありがとうございました。

futsal R編集部

【川口達也選手プロフィール】

1993年、静岡県沼津市生まれ。小学3年生の時にサッカーチームに入り、小学生の終わり頃にキーパーをやり始める。高校まではサッカーに熱中し、多摩大学入学後に本格的にフットサルを始める。

<サッカー歴>

沼津第三小→FCデルヴィエント沼津→沼津中央高校サッカー部

<フットサル歴>

多摩大学フットサル部(2年間カフリンガ東久留米の練習生として在籍)

2014年度 東京都選抜U-23

2014年度 東京都大学リーグ1部MVP

<編集後記>

インタビューに同席した大学の職員の方は、我々の質問に堂々と答える川口選手を眺めながら、「4年間でよく成長したな」と感慨深げだった。1年生の時は身体も大きくなくゴレイロとして不安な要素も多くあったそうだが、多摩大学の厳しいトレーニングに揉まれたことで、今では東京都選抜U-23に選ばれるほど成長を遂げた。「大学日本一」を目指す多摩大学フットサル部という環境が、川口選手のステップアップを大きく後押ししているように思えた。

多摩大学フットサル部・福角有紘監督インタビュー『フットサル志塾~自分たちの力で日本一へ~』

2015年7月15日 | カテゴリー :

★ユースフットサル選抜トーナメント2015・バルドラール浦安 小宮山選手&星選手★

ユースフットサル選抜トーナメント2015(3月24日・25日/墨田区総合体育館)を観戦した、バルドラール浦安の小宮山友祐選手と星翔太選手よりコメントをいただきました。

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小宮山友祐選手

「高校生のレベルが高くて驚きました。ボールを保持してからの個人技が非常に優れていますね。ただ、ボールをもらう前についてはもう少し工夫が必要かなと思いました。これからが楽しみです」

 

 

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星翔太選手

「高校生年代から競技フットサルに取り組む子どもたちが目指すべき舞台ができたと感じています。フットボール界におけるフットサルの重要性が問われている中で、高校生年代が更に下のカテゴリーにも良い影響を与えらえるように期待しています」

2015年3月30日 | カテゴリー :

【対談】フウガドールすみだ 清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督×FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督 「高校生Fリーガーの原点を探る~後編~」

後編 『フウガドールすみだ 清水和也選手×FOOTBOZE FUTAL U-18 豊田幸夫監督』

兄の影響でサッカーを始めた清水選手は、中学1年でフットサルに出会い、Soleil FUTSAL望月充監督の下でその楽しさを知る。そして、高校生になってからはFOOTBOZE FUTSAL U-18で本格的な戦術・技術を学び、より一層フットサルへ情熱を注いでいく...。対談後編では、高校生、清水和也がFリーガーになるまでをFOOTBOZE FUTSAL U-18、豊田幸夫監督と共に振り返る。

 司会 では、ここからは高校時代の清水選手について話をうかがっていきたいと思います。清水選手は中学校までサッカーも続けていて、高校に入る時にフットサルを選んだということですよね?その動機は何だったのでしょうか?

清水 中学3年生のときのソレイユとして出場したフットサルの全日本ユース準決勝(東京都大会)で負けてしまった後に、それまでやってきたチームメイトと「もう一度このメンバーで全国大会に出たい」「日本一を目指したい」と話していたんです。なので、やっぱり高校でもこのフットサルのメンバーでもう一度プレーしたいというふうに思いました。そしてはっきり決断したのが、東京都U-15選抜で名古屋遠征をして、あのオーシャンアリーナで名古屋オーシャンズU-15とFリーグの前座試合をして、5-0で勝った時です。

司会 それは貴重な経験をしましたね。その後、高校に入学して、フットボウズに入ったんですね?そのきっかけは、やはりお兄さんでしょうか?

清水 はい、お兄ちゃんが先に入って頑張っているということも知っていましたし、お兄ちゃんがいるチームでやりたいなとも思いました。それに、東京都のU-18の中でフットボウズが強いというのも知っていたので、そこに入ってやりたいなと思いましたね。

司会 豊田監督は清水選手がフットボウズに入ることになった時どう思いましたか?

豊田 まず僕が和也に初めて会ったのは、和也が中1の頃です。望月監督も言っていたけど、初めの印象は明るい子でした。プレー面での印象はほとんどなくて(笑)。でも、キャラクターとして、パーソナリティーとしての印象はとても強かったです。U-15リーグで対戦した時に、ゴレイロの和也がコーナーキックの時に上がって来てシュートを決められたこともあり、シュートの上手さは感じていました。その後、和也がフィールドプレーヤーとして出場した全日本ユース準決勝を観た時には、シュートへの持っていき方に高いポテンシャルを感じていたので、フットボウズへの加入が決まった時は純粋に嬉しいなと思いました。

司会 清水選手は、フットボウズに入って、まずどんなことを感じましたか?

清水 簡単な戦術面はわかっていましたが、本当のフットサルを知らないまま入ったので、マークの受け渡しなどフットサルならではの戦術に一番難しさを感じました。入った当初は戸惑っていましたね。

司会 豊田監督は清水選手をどういう風に育てていきたいと思いましたか?

豊田 ソレイユでフットサルの楽しさや基礎的な部分を学んできていたので、まずはそこの継続性を大切にして、和也に先輩ができていることを要求するというよりも和也が持っているものを継続してゆっくりと(フットボウズの戦術を)理解させていきたいと思っていました。ソレイユでやってきた「前プレ」、「点を取ること」に関しては、先輩たちより圧倒的にできていました。その点はフットサルで一番大事なところだと思いますしね。春先に和也と伊賀(フットボウズ・フットサルU-18所属)が入ってきて、ペスカドーラ町田アスピランチとの試合で「二人の方が、プレスが出来ているよね」と先輩たちに言った記憶があります。和也と伊賀のプレーの方が基準だよね、と思いましたし、先ずは彼の長所を大事にしてやっていこうかなと思いました。

司会 フットボウズに入ってまた新たに先輩が出来たと思いますが、コミュニケーションは上手く取れましたか?

清水 近い歳のお兄ちゃんもいましたが、結構歳が離れている先輩たちもいて、その中でどうやって自分を出していくかはすごく心配でした。でも、優しく声掛けてくれましたし、ここはもっとこうした方がいいよとアドバイスもくれました。なので、すごくやり易かった印象があります。

司会 フットボウズでは下のカテゴリーもあります。入ったと同時に後輩も出来たわけですが、後輩たちとはどうでしたか?

清水 後輩たちの方が、フットボウズ歴が長いこともあって本当に舐められていましたね(笑)。先輩ではなくタメとして話しかけられました。僕自身そういうのは嫌いではないので、ふざけながら絡んでいったのを覚えていますね。

司会 いい雰囲気が出来ていたんですね。そこに一緒のタイミングで入った中学からのチームメイト、伊賀君の存在は清水選手にとってどんなものでしたか?

清水 同い年の存在がいるというのは、やっぱり心の支えになっていましたね。どうしても上手くいかないときにはアドバイスも貰っていました。ちょうど前と後ろ(ピヴォとフィクソ)の関係で、後ろから観た僕の印象をはっきりと言ってもらったり守備の面ではちゃんとやれよと怒られたりと、いい関係でやれたのかなと思います。

司会 フットボウズに入って特に良かったと思ったのはどんな所ですか?

清水 フットボウズではオープンリーグなど大人との対戦も多かったので、そこでフィジカルや経験の差を痛感して課題が明確になったのが良かったですね。それに、オープンリーグはどのリーグと比べても一番難しいリーグだと思うので、そのカテゴリーでやれたのは大きかったのです。

司会 そのオープンリーグでの経験というのは、今にも活きていますか?

清水 はい、オープンリーグは体育館ではないので言い訳ができません。雨が降って濡れていても試合をしなくてはいけないんです。それでも、自分たちのプレーをしなくてはいけないわけです。コンディションの悪い中でもチームとして一つになって、目標に向かうというのは今のチームでも活きていますね。

司会 U-18カテゴリーでは印象的な出来事や試合はありましたか?

清水 高校1年の頃のU-18冬の大会で、その時の全国高校サッカー選手権の全国大会に出場した國學院久我山高校との試合ができたことです。國學院久我山の選手たちはどんな感じの選手、チームなんだろうと思っていましたが、やってみると意外とやれるなとも感じました。結果は2-3で負けてしまったのですが、こういうチームを倒していかないと日本一にはなれないなと思いました。

201301東京都ユース「久我山戦 和也」 (2)

東京都ユース、國學院久我山戦での清水選手。2013年1月(高校1年)

司会 豊田監督は、清水選手と一緒にやっていた時期で印象深い出来事、試合はありますか?

豊田 和也が1年の頃の國學院久我山戦もそうですし、2年の頃の冬の大会での決勝トーナメントのサッカー強豪チームとの3連戦(町田JFC、國學院久我山、駒大高校)は印象深いですね。去年(清水選手が1年生の頃)のチームは和也に頼ってしまうチームでした。冬の大会も2セット組んではいましたけど、怪我人が出たので和也をほとんど出ずっぱりで使ってしまい、決勝の駒大高校戦で和也に負担がきてしまいました。全国大会が掛かっている決勝戦だけに、もう少しうまくコントロールできたらよかったかなと思います。やっぱり去年の冬の段階で、和也は高校サッカー部全国大会レベルに対しても普通に勝っていたんですよね。そのポテンシャルの高さでの話で言うと、和也が高校2年でハーレンフースバル(5人制屋内壁ありサッカー)に出場し、柏レイソルユースや西武台高校などその年代のフットボールのエリートと対戦しても普通に個で勝っていた和也を見て、「和也を早く上のステージに送るか、U-18年代のフットサルにおいてこの水準の環境を作ってあげなくてはいけない」と痛感しました。

司会 清水選手は、フットボールエリートとやってみて、フィジカル差や個人能力の差は感じましたか?

清水 フィジカル差はあまり感じなく、普通に出来たところはありました。でも、シュートのコンパクトさやサッカーならではのシュートレンジの広さ、シュートでの駆け引きにはすごく差を感じましたね。

司会 大人やフットボールエリートとの試合を多く経験して一回り大きくなった清水選手、高校2年生の冬にはフウガすみだバッファローズに入ることになります。バッファローズに入るきっかけは何だったのでしょう?

清水 高校1年生の頃にフウガすみだバッファローズと練習試合ができることがあって、豊田監督が相手チームの須賀監督に今日のMVPを決めてほしいとお願いしたところ、僕が選ばれて色々なアドバイスを貰いました。それが須賀監督との初めての出会いでした。そこから何回か須賀さんとお会いして話す機会もありました。また、お兄ちゃんがフウガすみだバッファローズのセレクションに合格したのですが、人が足りないとのことで助っ人として練習に参加したこともあって、フウガへの加入を勧められようになりました。

司会 加入前のフウガの印象は?

清水 関東リーグを観に行く機会もあったのですが、フウガのフットサルは圧巻で、スピード感も違うし切替えの速さも違いました。中でも衝撃を受けたのが、ピヴォの安定感です。太見さんや神尾さんというピヴォを高校一年ころから観られたのは良かったです。自分とは差があるなとも思いましたし、観ていて楽しくて、これがトップレベルのフットサルなんだなと思いました。

司会 フウガに入って、トップ、バッファローズの選手とやってみてどうでしたか?楽しかったですか?難しさも感じましたか?

清水 やはり入った当初から戸惑っていました。スピード感も違いますし個人のレベルも高かったので、最初は本当にミスが多かったです。でも、やっていく中でそのスピード感にも慣れて、自分の特徴でもある前プレもできるようになってきて、僕でも通用するんだなとは思えるようになりました。

司会 そして遂にFリーグデビューを果たしました。今、どんな気持ちですか?

清水 フットサルを始めてからずっと持っていた「Fリーグのピッチに立つ」という夢が、まさかこんな早さで叶うなんて思っていなかったですし、素直に嬉しいです。これも、育ててくれた親や監督たちの応援や支えあってのことだと思うので、たくさんの人に感謝したいです。高校2年でフウガに入った頃は、僕としては専門学校に行きながらフットサルを続けるつもりでいたんですが、やっていくにつれて一人のフットサル選手としてやっていきたいと思うようになったんです。プロじゃなくてもやり続けて、ゆくゆくはプロ契約できるようにしたいなと思っています。(2014年)11月の時点で、フウガの仕事をしながら選手としてやっていきたいと須賀監督とも話して、一人のフットサル選手としてやっていこうと決心しました。不安なこともありますが、やってみないとわからないので、突き進むしかないなと思います。

司会 高校の友人たちが進学準備を始める中で、清水選手は大きな決断をしたわけですね。ご家族には反対されませんでしたか?

清水 両親ともに本当は反対だったというか大丈夫なのかと心配をしていたようです。でも、自分がフットサル選手としての夢を捨てきれないということを話して、フットサル選手として結果を見せていくうちに理解してくれるようになりました。今では背中を押してくれますし、遠征から帰ってくるとどうだったのか聞いてきてくれます。また、僕がTwitterなどで告知することもあってか、お母さんがTwitterを始めるようにまでなりましたね(笑)。

司会 望月監督、豊田監督は清水選手の決断を聞いたときはどうでしたか?

望月 フットサルだけで食べていくということが難しい中で、フウガの仕事であるスクールコーチなどをしながらある程度のお金が貰えて、フットサルを続けていける環境があるのはいいことだと思いました。

豊田 和也自身も言っていたようにどうなるか分からないものにいくというのは、恐怖感があると思います。けど、自分や望月監督に置き換えてみても、全く何からも守られることもなくやってきているし、会社に入ったから守られるわけではないし、大学に行ったから何になるわけでもないし、結局はその時々の社会からの評価で生きていかなくてはいけません。現時点では、フットサル選手として食べていける選手は少数かもしれないけど、和也はやりたい事が明確で覚悟をもってその道を進んで行こうとしている。それだけで、同年代の高校生たちに比べて圧倒的にリードしていると思う。その後は自分の責任でやっていくしかないね。さらに、リスクあることに挑戦している18歳を周りの大人は応援したい、支えたいと思うはず。かつ、僕のようにフットサル選手を育てている大人としては、和也だけではなくこれから出てくるであろう子たちのためにも、フットサル選手がしっかりとご飯を食べていけるような環境を作っていかなければという使命感も感じますね。

司会 最後に望月監督、豊田監督にうかがいます。清水選手には、どんなプレーヤーになっていって欲しいですか?

望月 日本代表を目指してほしいですし、プロになって欲しいですね。本当にチャンスがあれば海外、特にスペイン、ブラジルの一流のリーグでプロとしてやって欲しいなという気持ちはありますね。

豊田 この年代のフットサルの顔になって欲しいなと思います。この年代で一歩リードしてU-19日本代表にも入って欲しいです。5年後の2020年フットサルワールドカップ開催地に名古屋が立候補しています。その日本で開催されるワールドカップで、ある程度メディアが注目する中で、スター選手が出ることでフットサルが盛り上がると思います。和也がそのスター選手の一人になり、和也の活躍を見た子どもたちが「フットサルのワールドカップに出たい」と言うようになってくれたら最高ですね。

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最高の笑顔で最高のお話を聞かせてくださった望月監督(左)、清水選手(中央)、豊田監督(右)、本当にありがとうございました!

【フウガドールすみだ 清水和也選手プロフィール】 1997年東京都生まれ。小学校4年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。小学6年の時、同じく中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始め、東京都ユースU-15フットサルリーグ選抜に選ばれる。高校入学と同時に東京都三鷹市のクラブチーム、FOOTBOZE FUTSAL U-18に入り、高校1年で東京都ユースU-18フットサルリーグ選抜。高校2年のシーズン後半にフウガドールすみだバッファローズにも登録出場し、東京都U-23選抜にも選出される。高校3年の4月、フウガドールすみだでFリーグデビュー。今春、高校卒業予定。

【FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督プロフィール】 1972年岩手県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。同年、ソニー・クリエイティブプロダクツ入社。1998年FOOTBOZE FOOTBALL設立。2003年FOOTBOZE FUTSAL設立。東京都ユース(U-18)フットサルリーグ1部・優勝5回(2009・2010・2012・2013・2014)。東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・優勝2回(2012・2013)、ユースフットサル選抜トーナメント2015全国大会出場決定(全国大会は2015年3月24日・25日に墨田区総合体育館で開催)。2014年度東京都U-14フットサル選抜監督。

編集後記>

記事にはしなかったが、今回の対談では、望月監督と豊田監督にこんな質問もしていた。「清水選手には(プレーヤーとしてではなく)人としてどう成長していって欲しいですか?」これに対するお二人の答えはただ一言、「今のままで」。ここに清水選手の人となり、恩師たちとの信頼関係が象徴されているように思う。

清水選手はフットサル選手としてはまだスタートラインに立ったばかりだが、近い将来、きっと日本を代表する選手になっているだろう。フットサル選手として生きて行くという強い「覚悟」を持ち続け、その勇姿を子どもたちに見せていって欲しい。

清水選手、望月監督、豊田監督、futsal Rの対談にご協力いただき、本当にありがとうございました!皆様の益々のご活躍をお祈りしております。

文・写真:futsal R編集部

2015年3月5日 | カテゴリー :

【対談】フウガドールすみだ 清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督×FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督 「高校生Fリーガーの原点を探る~前編~」

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清水和也選手(フウガドールすみだ)

高校3年でFリーグデビューを果たし、その若さと得点力で注目を集める清水和也選手だが、Fリーガーになる以前の彼はどんな人間で、どんな選手だったのだろう?小学校、中学校時代からすでにその才能の片鱗を見せていたのだろうか?それらを探るべく、清水選手と中学時代の恩師、高校時代の恩師にお集まりいただき、話をうかがった。全員が旧知の仲とあって、対談は笑顔に包まれた和やかな雰囲気で始まった。

前編『フウガドールすみだ  清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督』

司会 今日はよろしくお願いします。早速ですが、まずは清水選手の子ども時代についてお話を聞かせてください。サッカーやフットサルに出会う前の清水和也はどんな子どもでしたか?

清水 お兄ちゃん(清水誠也選手・フウガドールすみだバッファローズ所属)が居たので、いつもお兄ちゃんにくっついて行動していました。テレビゲームをすることもあったけど、お兄ちゃんと一緒にボールを持って出かけることが多かったです。土日は朝の9時に学校の校庭が開放になるので、すぐにボールを持って遊びに行き、12時にお昼ご飯を食べに帰って、また夕方5時までボールを蹴るというのがほとんどでしたね。

司会 活発な子だったんですね。サッカーは小学校に入ってすぐに習い始めたんですか?

清水 いえ、お兄ちゃんが小学6年生の時にサッカークラブに入ったので、僕もその時一緒にそのクラブに入ったんです。僕が4年生の時です。それまではサッカーを習ったことはなくて、近所の大人たちと学校でボール蹴ることがサッカーでした。

司会 つまり、ブラジルの子供たちのようなストリートサッカーではないけどエンジョイフットボールのようなものをやってきたのですね。4年生になって初めてサッカークラブに入った時、周りの子どもたちと自分とのレベル差は感じましたか?

清水 入る以前に大人と戦っていた分、他の子たちよりか頭一つ分出ていたのかなというイメージがありますね。今でも鮮明に覚えているんですが、サッカークラブに入った最初の公式戦では、一人でどんどん攻め入って11点決めたんですよ。

司会 11点!それはなかなか出来ることではないですね。さて、次にフットサルとの出会いについて教えてください。

清水 当時中学2年の兄が、新しく出来たソレイユというフットサルチームに入ったので、僕も遊び感覚で入ることにしたんです。それが小学6年の終わり頃です。

司会 なるほど、サッカーに続いてフットサルもお兄さんの影響で始めたわけですね。当初は遊び感覚だったということですが、実際にソレイユでプレーしてみて「これぞフットサル」のようなものは感じましたか?

清水 足の裏でトラップをするっていうことは今までの自分の中で経験がなかったので、驚きを感じました。足裏トラップをすることでフットサルを知ることにも繋がったと思います。

司会 それではここで、ソレイユ・フットサルの代表でいらっしゃる望月監督にもお話をうかがいたいと思います。まず、ソレイユ・フットサルを立ち上げ、清水選手が入ってきた時の印象を教えていただけますか?

望月 和也は明るく活発で、今よりポッチャリしていました (笑)。繊細な兄、誠也とは真逆のイメージでしたね。プレー面では、足元のあるプレーヤーだなと思いました。

司会 清水選手の良さを引き出すような練習というのは特別にしていましたか?

望月 一切してないですね(笑)。最初、兄の誠也に一度ゴレイロをやらせたことがあって、その影響なのか、和也は入ってすぐに、ゴレイロをやりたいと言い出しました。なので、最初の半年や一年はゴレイロトレーニングを多くやっていて、上の学年ではゴレイロがいないということもあり、ゴレイロで多く試合に出していました。

司会 ソレイユでは、どのタイミングで清水選手をフィールドプレーヤーとして使おうと思いましたか?

望月 本当はゴレイロでもフィールドでも使いたいと思っていました。でも、ゴレイロがいないので、ゴレイロをやってもらっていたんです。ですが、途中いい人材が見つかったので、そこからは主力で和也をフィールドプレーヤーで使うことにしました。和也を中心にというか「困ったら和也!」という戦術をやっていました。

司会 清水選手は、「困ったら和也!」は感じていましたか?

清水 ソレイユには元々しっかりとしたフィクソもいたので、前三枚、後ろ一枚のスリートップのようで、守備もしないで攻撃だけするような戦い方でした。個人的にはすごくやりやすかったですね。

司会 自由にプレーできていたんですね。練習の時はどうでしたか?

清水 そうですね。お兄ちゃんがいることもあってか調子に乗ってしまう部分もあって、普段は怒らない望月監督にも怒られました。望月監督が話しているのにも関わらず、下級生でもある僕が望月監督の話を聞かないでボールを触っていて、「お前、そんなに上手くないのに話聞かなくていいのか!」と言われたこともありました。

望月 そんなこと言ったの覚えてないなー。相当態度悪かったんだと思うよ(笑)。

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Soleil FUTSAL望月充監督と清水選手。懐かしいエピソードに笑みがこぼれる。

司会 今の清水選手からは想像できないですね。ソレイユの活動を通して、一番印象深かったこと、思い出に残っていることは何ですか?

清水 中学3年生の夏にやった全日本ユースの準決勝でコンフィアール町田というチームに負けちゃったんです。中学最後の大会でしたし、全国大会を目標にしていたので、何としても関東大会に行きたかったんですけど、負けて、「終わっちゃったんだな」と・・・悔しい思い出です。

司会 望月監督は何が一番印象に残っていますか?

望月 和也と同じですね。その大会の2位までが関東大会に進めるんですが、準決勝では途中まで負けていて、追いついて、引き離されて・・・試合終盤に和也がシュートを入ってゴールには入ったけどブザーの後でノーゴールという判定になってしまったんです。それが入っていればPK戦になっていたはずです。後味の悪い試合になってしまい今までで一番悔しかったけど、一番ヒートアップした試合で楽しくもありました

司会 清水選手はどうでしたか?

清水 僕ももちろん楽しかったんですが、やりきった感じがありましたね。僕もまだ子どもだったので審判に文句を言ってやろうかと思ったのですが、試合後は燃え尽きた感じで、頭が真っ白になって「この先どうすんだろうな」と考えましたね。

望月 試合後に(ソレイユ所属の)○○が文句言って、退場になったよね(笑)。

清水 そうなんです。○○が試合後に退場になりました。

(一同爆笑)

司会 ソレイユで練習や試合を重ねる中で、清水選手は望月監督からいろんなことを学ぶことができたと思います。

清水 はい、やっぱり僕が「フットサル」というスポーツに出会ったのも望月監督のおかげでもあるので、感謝したいです。また、自由にやらせてもらっていたこともあって、「プレーで体現しろ」ということを教わったと思います。本当にのびのびやれた印象ですね。

司会 望月コーチは、自由にやらせてあげるのが清水選手に合っていると思ってそうしていたのですか?

望月 和也にというよりかは、ソレイユのチームカラーという感じですね。前からプレスにいくっていうことと一対一で負けないこと、責任を持ってプレーするのであれば、後は自由にやっていいとは常々全員に言っていました。オフェンスの練習はほぼしてないんです。けれど、守備の基本はやらないと勝てないのでほぼ守備練習に充てていました。8割9割守備練習ですね。

清水 後は柔道場でのフィジカル練習ですね(笑)。

望月 ハーレンフースバル(5人制屋内壁ありサッカー)だったね。

清水 あれが最初でしたね(笑)。

司会 さて、清水選手はソレイユを離れ、高校からはフットボウズ・フットサルU-18に入ることになります。望月監督は、外から清水選手のプレーを見てどう感じましたか?

望月 ソレイユでは、「守備では前プレ、攻撃では自由にやっていい」前提のもとにフットサルの基本的なところしかやっていなかったのですが、フットボウズに入ってしっかりした戦術を学ぶ中で、より和也にフィットしたフットサルが出来るようになっているなと思いました。

司会 技術的な面でも成長を感じましたか?

望月 高校生になってからはソレイユでゴレイロコーチを和也にやってもらっていたんですが、成長しているなと感じたのは、ゴレイロへのシュート練習のときですね。シュートの正確さはやはり大事だと思いますし。一方で、全く成長していないなと思ったのは、兄弟喧嘩。兄・誠也もソレイユでコーチをやっていたのですが、練習中にコーチ同士、兄弟喧嘩を始めてしまうんですよ(笑)。ソレイユの中で一番コーチ同士が喧嘩しているんじゃないかというくらい多かったですね(笑)。

【フウガドールすみだ 清水和也選手プロフィール】 1997年東京都生まれ。小学校4年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。小学6年の時、同じく中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始め、東京都ユースU-15フットサルリーグ選抜に選ばれる。高校入学と同時に東京都三鷹市のクラブチーム、FOOTBOZE FUTSAL U-18に入り、高校1年で東京都ユースU-18フットサルリーグ選抜。高校2年のシーズン後半にフウガドールすみだバッファローズにも登録出場し、東京都U-23選抜にも選出される。高校3年の4月、フウガドールすみだでFリーグデビュー。今春、高校卒業予定。

【Soleil FUTSAL望月充監督プロフィール】 1985年東京都生まれ。2007年、東京工学院専門学校スポーツ健康科保育士幼稚園教諭コース卒業。2007年北中野中学校サッカー部の補助活動として、Soleil FUTSALを設立。2011年と2013年に東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・準優勝。2014年、東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・優勝。2014年度東京都U-15フットサル選抜監督。

文・写真:futsal R編集部

<後編『清水和也選手(フウガドールすみだ所属)×FOOTBOZE FUTAL豊田幸夫監督』へ続く>

2015年3月1日 | カテゴリー :