後編 『フウガドールすみだ 清水和也選手×FOOTBOZE FUTAL U-18 豊田幸夫監督』
兄の影響でサッカーを始めた清水選手は、中学1年でフットサルに出会い、Soleil FUTSAL望月充監督の下でその楽しさを知る。そして、高校生になってからはFOOTBOZE FUTSAL U-18で本格的な戦術・技術を学び、より一層フットサルへ情熱を注いでいく...。対談後編では、高校生、清水和也がFリーガーになるまでをFOOTBOZE FUTSAL U-18、豊田幸夫監督と共に振り返る。
司会 では、ここからは高校時代の清水選手について話をうかがっていきたいと思います。清水選手は中学校までサッカーも続けていて、高校に入る時にフットサルを選んだということですよね?その動機は何だったのでしょうか?
清水 中学3年生のときのソレイユとして出場したフットサルの全日本ユース準決勝(東京都大会)で負けてしまった後に、それまでやってきたチームメイトと「もう一度このメンバーで全国大会に出たい」「日本一を目指したい」と話していたんです。なので、やっぱり高校でもこのフットサルのメンバーでもう一度プレーしたいというふうに思いました。そしてはっきり決断したのが、東京都U-15選抜で名古屋遠征をして、あのオーシャンアリーナで名古屋オーシャンズU-15とFリーグの前座試合をして、5-0で勝った時です。
司会 それは貴重な経験をしましたね。その後、高校に入学して、フットボウズに入ったんですね?そのきっかけは、やはりお兄さんでしょうか?
清水 はい、お兄ちゃんが先に入って頑張っているということも知っていましたし、お兄ちゃんがいるチームでやりたいなとも思いました。それに、東京都のU-18の中でフットボウズが強いというのも知っていたので、そこに入ってやりたいなと思いましたね。
司会 豊田監督は清水選手がフットボウズに入ることになった時どう思いましたか?
豊田 まず僕が和也に初めて会ったのは、和也が中1の頃です。望月監督も言っていたけど、初めの印象は明るい子でした。プレー面での印象はほとんどなくて(笑)。でも、キャラクターとして、パーソナリティーとしての印象はとても強かったです。U-15リーグで対戦した時に、ゴレイロの和也がコーナーキックの時に上がって来てシュートを決められたこともあり、シュートの上手さは感じていました。その後、和也がフィールドプレーヤーとして出場した全日本ユース準決勝を観た時には、シュートへの持っていき方に高いポテンシャルを感じていたので、フットボウズへの加入が決まった時は純粋に嬉しいなと思いました。
司会 清水選手は、フットボウズに入って、まずどんなことを感じましたか?
清水 簡単な戦術面はわかっていましたが、本当のフットサルを知らないまま入ったので、マークの受け渡しなどフットサルならではの戦術に一番難しさを感じました。入った当初は戸惑っていましたね。
司会 豊田監督は清水選手をどういう風に育てていきたいと思いましたか?
豊田 ソレイユでフットサルの楽しさや基礎的な部分を学んできていたので、まずはそこの継続性を大切にして、和也に先輩ができていることを要求するというよりも和也が持っているものを継続してゆっくりと(フットボウズの戦術を)理解させていきたいと思っていました。ソレイユでやってきた「前プレ」、「点を取ること」に関しては、先輩たちより圧倒的にできていました。その点はフットサルで一番大事なところだと思いますしね。春先に和也と伊賀(フットボウズ・フットサルU-18所属)が入ってきて、ペスカドーラ町田アスピランチとの試合で「二人の方が、プレスが出来ているよね」と先輩たちに言った記憶があります。和也と伊賀のプレーの方が基準だよね、と思いましたし、先ずは彼の長所を大事にしてやっていこうかなと思いました。
司会 フットボウズに入ってまた新たに先輩が出来たと思いますが、コミュニケーションは上手く取れましたか?
清水 近い歳のお兄ちゃんもいましたが、結構歳が離れている先輩たちもいて、その中でどうやって自分を出していくかはすごく心配でした。でも、優しく声掛けてくれましたし、ここはもっとこうした方がいいよとアドバイスもくれました。なので、すごくやり易かった印象があります。
司会 フットボウズでは下のカテゴリーもあります。入ったと同時に後輩も出来たわけですが、後輩たちとはどうでしたか?
清水 後輩たちの方が、フットボウズ歴が長いこともあって本当に舐められていましたね(笑)。先輩ではなくタメとして話しかけられました。僕自身そういうのは嫌いではないので、ふざけながら絡んでいったのを覚えていますね。
司会 いい雰囲気が出来ていたんですね。そこに一緒のタイミングで入った中学からのチームメイト、伊賀君の存在は清水選手にとってどんなものでしたか?
清水 同い年の存在がいるというのは、やっぱり心の支えになっていましたね。どうしても上手くいかないときにはアドバイスも貰っていました。ちょうど前と後ろ(ピヴォとフィクソ)の関係で、後ろから観た僕の印象をはっきりと言ってもらったり守備の面ではちゃんとやれよと怒られたりと、いい関係でやれたのかなと思います。
司会 フットボウズに入って特に良かったと思ったのはどんな所ですか?
清水 フットボウズではオープンリーグなど大人との対戦も多かったので、そこでフィジカルや経験の差を痛感して課題が明確になったのが良かったですね。それに、オープンリーグはどのリーグと比べても一番難しいリーグだと思うので、そのカテゴリーでやれたのは大きかったのです。
司会 そのオープンリーグでの経験というのは、今にも活きていますか?
清水 はい、オープンリーグは体育館ではないので言い訳ができません。雨が降って濡れていても試合をしなくてはいけないんです。それでも、自分たちのプレーをしなくてはいけないわけです。コンディションの悪い中でもチームとして一つになって、目標に向かうというのは今のチームでも活きていますね。
司会 U-18カテゴリーでは印象的な出来事や試合はありましたか?
清水 高校1年の頃のU-18冬の大会で、その時の全国高校サッカー選手権の全国大会に出場した國學院久我山高校との試合ができたことです。國學院久我山の選手たちはどんな感じの選手、チームなんだろうと思っていましたが、やってみると意外とやれるなとも感じました。結果は2-3で負けてしまったのですが、こういうチームを倒していかないと日本一にはなれないなと思いました。
東京都ユース、國學院久我山戦での清水選手。2013年1月(高校1年)
司会 豊田監督は、清水選手と一緒にやっていた時期で印象深い出来事、試合はありますか?
豊田 和也が1年の頃の國學院久我山戦もそうですし、2年の頃の冬の大会での決勝トーナメントのサッカー強豪チームとの3連戦(町田JFC、國學院久我山、駒大高校)は印象深いですね。去年(清水選手が1年生の頃)のチームは和也に頼ってしまうチームでした。冬の大会も2セット組んではいましたけど、怪我人が出たので和也をほとんど出ずっぱりで使ってしまい、決勝の駒大高校戦で和也に負担がきてしまいました。全国大会が掛かっている決勝戦だけに、もう少しうまくコントロールできたらよかったかなと思います。やっぱり去年の冬の段階で、和也は高校サッカー部全国大会レベルに対しても普通に勝っていたんですよね。そのポテンシャルの高さでの話で言うと、和也が高校2年でハーレンフースバル(5人制屋内壁ありサッカー)に出場し、柏レイソルユースや西武台高校などその年代のフットボールのエリートと対戦しても普通に個で勝っていた和也を見て、「和也を早く上のステージに送るか、U-18年代のフットサルにおいてこの水準の環境を作ってあげなくてはいけない」と痛感しました。
司会 清水選手は、フットボールエリートとやってみて、フィジカル差や個人能力の差は感じましたか?
清水 フィジカル差はあまり感じなく、普通に出来たところはありました。でも、シュートのコンパクトさやサッカーならではのシュートレンジの広さ、シュートでの駆け引きにはすごく差を感じましたね。
司会 大人やフットボールエリートとの試合を多く経験して一回り大きくなった清水選手、高校2年生の冬にはフウガすみだバッファローズに入ることになります。バッファローズに入るきっかけは何だったのでしょう?
清水 高校1年生の頃にフウガすみだバッファローズと練習試合ができることがあって、豊田監督が相手チームの須賀監督に今日のMVPを決めてほしいとお願いしたところ、僕が選ばれて色々なアドバイスを貰いました。それが須賀監督との初めての出会いでした。そこから何回か須賀さんとお会いして話す機会もありました。また、お兄ちゃんがフウガすみだバッファローズのセレクションに合格したのですが、人が足りないとのことで助っ人として練習に参加したこともあって、フウガへの加入を勧められようになりました。
司会 加入前のフウガの印象は?
清水 関東リーグを観に行く機会もあったのですが、フウガのフットサルは圧巻で、スピード感も違うし切替えの速さも違いました。中でも衝撃を受けたのが、ピヴォの安定感です。太見さんや神尾さんというピヴォを高校一年ころから観られたのは良かったです。自分とは差があるなとも思いましたし、観ていて楽しくて、これがトップレベルのフットサルなんだなと思いました。
司会 フウガに入って、トップ、バッファローズの選手とやってみてどうでしたか?楽しかったですか?難しさも感じましたか?
清水 やはり入った当初から戸惑っていました。スピード感も違いますし個人のレベルも高かったので、最初は本当にミスが多かったです。でも、やっていく中でそのスピード感にも慣れて、自分の特徴でもある前プレもできるようになってきて、僕でも通用するんだなとは思えるようになりました。
司会 そして遂にFリーグデビューを果たしました。今、どんな気持ちですか?
清水 フットサルを始めてからずっと持っていた「Fリーグのピッチに立つ」という夢が、まさかこんな早さで叶うなんて思っていなかったですし、素直に嬉しいです。これも、育ててくれた親や監督たちの応援や支えあってのことだと思うので、たくさんの人に感謝したいです。高校2年でフウガに入った頃は、僕としては専門学校に行きながらフットサルを続けるつもりでいたんですが、やっていくにつれて一人のフットサル選手としてやっていきたいと思うようになったんです。プロじゃなくてもやり続けて、ゆくゆくはプロ契約できるようにしたいなと思っています。(2014年)11月の時点で、フウガの仕事をしながら選手としてやっていきたいと須賀監督とも話して、一人のフットサル選手としてやっていこうと決心しました。不安なこともありますが、やってみないとわからないので、突き進むしかないなと思います。
司会 高校の友人たちが進学準備を始める中で、清水選手は大きな決断をしたわけですね。ご家族には反対されませんでしたか?
清水 両親ともに本当は反対だったというか大丈夫なのかと心配をしていたようです。でも、自分がフットサル選手としての夢を捨てきれないということを話して、フットサル選手として結果を見せていくうちに理解してくれるようになりました。今では背中を押してくれますし、遠征から帰ってくるとどうだったのか聞いてきてくれます。また、僕がTwitterなどで告知することもあってか、お母さんがTwitterを始めるようにまでなりましたね(笑)。
司会 望月監督、豊田監督は清水選手の決断を聞いたときはどうでしたか?
望月 フットサルだけで食べていくということが難しい中で、フウガの仕事であるスクールコーチなどをしながらある程度のお金が貰えて、フットサルを続けていける環境があるのはいいことだと思いました。
豊田 和也自身も言っていたようにどうなるか分からないものにいくというのは、恐怖感があると思います。けど、自分や望月監督に置き換えてみても、全く何からも守られることもなくやってきているし、会社に入ったから守られるわけではないし、大学に行ったから何になるわけでもないし、結局はその時々の社会からの評価で生きていかなくてはいけません。現時点では、フットサル選手として食べていける選手は少数かもしれないけど、和也はやりたい事が明確で覚悟をもってその道を進んで行こうとしている。それだけで、同年代の高校生たちに比べて圧倒的にリードしていると思う。その後は自分の責任でやっていくしかないね。さらに、リスクあることに挑戦している18歳を周りの大人は応援したい、支えたいと思うはず。かつ、僕のようにフットサル選手を育てている大人としては、和也だけではなくこれから出てくるであろう子たちのためにも、フットサル選手がしっかりとご飯を食べていけるような環境を作っていかなければという使命感も感じますね。
司会 最後に望月監督、豊田監督にうかがいます。清水選手には、どんなプレーヤーになっていって欲しいですか?
望月 日本代表を目指してほしいですし、プロになって欲しいですね。本当にチャンスがあれば海外、特にスペイン、ブラジルの一流のリーグでプロとしてやって欲しいなという気持ちはありますね。
豊田 この年代のフットサルの顔になって欲しいなと思います。この年代で一歩リードしてU-19日本代表にも入って欲しいです。5年後の2020年フットサルワールドカップ開催地に名古屋が立候補しています。その日本で開催されるワールドカップで、ある程度メディアが注目する中で、スター選手が出ることでフットサルが盛り上がると思います。和也がそのスター選手の一人になり、和也の活躍を見た子どもたちが「フットサルのワールドカップに出たい」と言うようになってくれたら最高ですね。
最高の笑顔で最高のお話を聞かせてくださった望月監督(左)、清水選手(中央)、豊田監督(右)、本当にありがとうございました!
【フウガドールすみだ 清水和也選手プロフィール】 1997年東京都生まれ。小学校4年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。小学6年の時、同じく中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始め、東京都ユースU-15フットサルリーグ選抜に選ばれる。高校入学と同時に東京都三鷹市のクラブチーム、FOOTBOZE FUTSAL U-18に入り、高校1年で東京都ユースU-18フットサルリーグ選抜。高校2年のシーズン後半にフウガドールすみだバッファローズにも登録出場し、東京都U-23選抜にも選出される。高校3年の4月、フウガドールすみだでFリーグデビュー。今春、高校卒業予定。
【FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督プロフィール】 1972年岩手県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。同年、ソニー・クリエイティブプロダクツ入社。1998年FOOTBOZE FOOTBALL設立。2003年FOOTBOZE FUTSAL設立。東京都ユース(U-18)フットサルリーグ1部・優勝5回(2009・2010・2012・2013・2014)。東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・優勝2回(2012・2013)、ユースフットサル選抜トーナメント2015全国大会出場決定(全国大会は2015年3月24日・25日に墨田区総合体育館で開催)。2014年度東京都U-14フットサル選抜監督。
<編集後記>
記事にはしなかったが、今回の対談では、望月監督と豊田監督にこんな質問もしていた。「清水選手には(プレーヤーとしてではなく)人としてどう成長していって欲しいですか?」これに対するお二人の答えはただ一言、「今のままで」。ここに清水選手の人となり、恩師たちとの信頼関係が象徴されているように思う。
清水選手はフットサル選手としてはまだスタートラインに立ったばかりだが、近い将来、きっと日本を代表する選手になっているだろう。フットサル選手として生きて行くという強い「覚悟」を持ち続け、その勇姿を子どもたちに見せていって欲しい。
清水選手、望月監督、豊田監督、futsal Rの対談にご協力いただき、本当にありがとうございました!皆様の益々のご活躍をお祈りしております。
文・写真:futsal R編集部