★ユースフットサル選抜トーナメント2015・バルドラール浦安 小宮山選手&星選手★

ユースフットサル選抜トーナメント2015(3月24日・25日/墨田区総合体育館)を観戦した、バルドラール浦安の小宮山友祐選手と星翔太選手よりコメントをいただきました。

0324-1

小宮山友祐選手

「高校生のレベルが高くて驚きました。ボールを保持してからの個人技が非常に優れていますね。ただ、ボールをもらう前についてはもう少し工夫が必要かなと思いました。これからが楽しみです」

 

 

hoshi2

星翔太選手

「高校生年代から競技フットサルに取り組む子どもたちが目指すべき舞台ができたと感じています。フットボール界におけるフットサルの重要性が問われている中で、高校生年代が更に下のカテゴリーにも良い影響を与えらえるように期待しています」

2015年3月30日 | カテゴリー :

★ユースフットサル選抜トーナメント2015・日本フットサル連盟 小倉純二会長★

先日、愛知県選抜の優勝で幕を閉じたユース選抜フットサルトーナメント全国大会2015。日本フットサル連盟主催のこの大会には、同連盟の小倉純二会長も会場に足を運び、育成年代の巧みなテクニックと白熱する試合展開を大いに楽しみながら観戦していた。FIFA功労賞を受賞し、日本のフットボール界の発展に大きく寄与してきた小倉会長に、大会の印象と日本フットサル界の今後についてお話をうかがった。

IMG_0471「観ていてとても面白いです。戦術や技術レベルが高く、昨年と比べて高校生年代のフットサルのレベルが向上していると感じます。墨田の体育館には多くの観客席もあるのでもっと多くの方々に見てほしいですね。フットサル日本代表はアジア大会の連覇をしていますが、その後の代が続いてきていないと感じていました。しかし、今日の試合を観ていると可能性を感じます。これまでフットサルの高校生年代の全国規模の大会はなかなかできていなかったので、今回の大会のようなチャンスができているのは本当に嬉しいことです。今度は女子のほうにも力を入れていきたいですね。今度のトリムカップ(3月27日に宮城県で開催された)にも女子高校生が出場する予定で、女子も全国規模の大会を経験できる機会を得られるようになってきています。

今までも日本のフットボール界全体においてフットサルの重要性は問われてきました。ジーコ氏が日本に来て鹿島アントラーズに深く関わるようになりましたが、ジーコ氏は『まず、フットサルをやれ』と言っていました。ブラジルでは11、12歳まではサッカーではなくフットサルをメインに活動しており、フットサルの方が人数やコートも規模が小さく、育成年代の技術向上に非常に有効なはずなので、日本でももっとフットサルが普及していくといいですね」

【小倉 純二氏プロフィール】

1938生まれ。Jリーグの発足に向けての制度設計と基盤整備に尽力し、2002FIFAワールドカップの招致の成功にも大きく貢献、JFAの専務理事、副会長、会長時代を通じて世界のサッカー界での日本の地位向上に寄与した。2002FIFAワールドカップでは日本組織委員会事務総長代理とトーナメントダイレクターを務め大会を成功に導き、日本の運営能力の高さを世界に証明した。また、日本人3人目のFIFA理事として、9年にわたってFIFAをはじめとする世界各国の協会とのパイプ役を務め、日本サッカーの国際化を推し進め、その活動が世界の信頼を得てFIFA功労賞を受賞した。2013年には旭日中綬章を受章。公益財団法人日本サッカー協会 名誉会長。一般財団法人日本フットサル連盟会長。(一般財団法人日本フットサル連盟オフィシャルサイトより)

2015年3月30日

★ユースフットサル選抜トーナメント2015・優勝監督&選手インタビュー★

U-18フットサルトーナメントとして2012年にスタートした大会は、今年、「ユースフットサル選抜トーナメント2015」と名称を変え、3月24・25日に東京の墨田区総合体育館で開催された。大会には、全国9地域からクラブチーム、選抜チーム、高校サッカー部などの多様な12チームが集結し、高校年代フットサルの日本一を決めるに相応しい盛り上がりを見せた。

結果はこちらから⇒  http://futsalr.com/result/youth-futsal-senbatsu-tournament2015/

大会を制したのは、名古屋オーシャンズU-18のメンバーを中心とした愛知県選抜U-18。フットサル特有の「止める」「蹴る」という基礎技術の巧さに加え、組織的なディフェンス・オフェンスの戦術の質が高く、他のチームに比べて目を見張るものがあった。また、惜しくも決勝戦で敗れてしまった東京都ユースリーグ選抜U-18も「フットサルらしい」ボールの持ち方をする選手が多く印象深かった。

IMG_0488

futsal Rでは、優勝した愛知県選抜U-18の高橋優介監督と5番 北野聖夜選手、10番 水野拓海選手、準優勝の東京都ユースリーグ選抜U-18の18番 清水竣生選手にインタビューを行った。

<愛知県選抜U-18・高橋優介監督>

futsal R(以下、R)「高橋監督、おめでとうございます。まず、今の率直な感想をお願いします」

高橋監督「夏、(名古屋オーシャンズU-18で)勝てなかった分、今回愛知選抜ですけどオーシャンズのスクールの子がメインで出ていたので、すごく選手たちはこの大会に向けて「取りたい」っていう気持ちが強かったと思うので、それを少しでもサポートできたのはすごく嬉しいですね」

R「決勝戦に向けてどんな準備をされましたか?戦略、戦術など教えてください」

高橋監督「戦略的には、ゲーム前に東京選抜のゲームをあまり観られなかったので、具体的にここが弱いとか強みとかはそんなに分かっていなかったですね。逆に選手たちは観ていたようだったので、選手たちに聞きながら。なので、直前ですね。時間もなかったので、コートに出てから選手たちから聞いて、ここだけ気を付けるということを何点か上げました。やっぱり18番(東京都ユースリーグ選抜U-18の清水竣生選手)の個の能力。あとは、セットプレー、キックインとかでいい形で点を取っていたので、そこで失点はしてしまうかもしれないけど、出来るだけ自由を奪えるように気を付けようねと、普段やっている守り方の確認をしていましたね。なので、戦略というか戦術面の確認がメインでしたね。ゲームをどうコントロールしていこうというところまでは何も考えられなかったので、やってみてどう出るかという感じでした」

R「いい形で連続して点が取れて、途中4-1と点差が開きましたが、その時はどんな心境でしたか?」

高橋監督「4-1に開いた時には、きっと相手が勝負してくるセットが出てきて、8番(東京都ユースリーグ選抜U-18の高瀬剛選手)とか18番の子が出て来るのかな、押し込んでくるのかなというのがあったので、残り3、4分のところでうちはゴリゴリセットというか(笑)、いつも2つにセットを分けているので、ゴリゴリ君たちを多めに入れられるようにタイムのコントロールを考えつつやっていました。あとは、時間によっては、今回出場できていない選手たちを入れてあげようかなというのもあって、ひとまず1点差でもいいからそのまま勝ち切れればいいというのが正直な心境でした」

R「今大会、(サッカーではなく)しっかりとフットサルをするチームがベスト4まで勝ち上がり、いい試合になって決勝を迎えられたという点では前大会に比べて進歩したかなと思います。その点についてはどう思われますか?」

高橋監督「まだフットサルを競技としてやっているU-18のチームも少ないですし、関東に比べるとうちの東海地域はだいぶ遅れていてまだリーグ戦もない状態なので、まずそういうところから少しでもプラスになることをやっていかないと、地域的には厳しいのかなと。東京、関東のチームはそういう事をやっているので、今大会でもその積み重ねが出ているのかなと思います。フットサルがもっと認知されたり普及していくためには、やはりこの高校年代が大事だと思うので、その面も含めて、自分がやっている愛知県でももうちょっと何かやっていかないと行けないのかなと改めて感じました」

R「最後に、来シーズンの目標、抱負をお聞かせください」

高橋監督「今年はU-18のチームは高校生の年代では全日本ユースで準優勝で、今回愛知県選抜では優勝しました。正直言うと、来季に関しては不安しかないです。3年生が抜けてしまいますし、僕が3年生たちに頼っていた部分があるので。2年生の質が低いということではないんですけど、新しいチームになっていく時に何をどうしていこうかなというのをしっかり考えていかないといけないかなと思います。今の3年生は小学校からやってきた年代の子たちなんですね。うちがチームとして起ち上げて小6から入ってくれた子たちが初めて高3で終える年だったので、今年は僕の中では結果に拘っていた部分があったんです。その反動が来シーズンに出ないようにしなきゃいけないなと思っています」

IMG_0492 (2)

愛知県選抜U-18・5番  北野聖夜選手>

R「チームが優勝した要因は何だと思いますか?」

北野選手「10番の水野っていう大きいピヴォがいるんですけど、彼を中心にやっていて、セットプレーで取れるとこは取って、あとは運動量を絶対に落とさないことを大切にやってきました」

R「今回の愛知県選抜は名古屋オーシャンズU-18中心だったかと思いますが、他チームからは何人くらい選抜に参加していたんですか?」

北野選手「2人ですね」

R「その2人が加わって何か変化したところもありましたか?それとも、オーシャンズのやり方を意識してやっていましたか?」

北野選手「そうですね、練習だけでなく私生活から2人と食事したりしてオーシャンズのスタイルに慣れてもらうようにして、上手い事できたかなと思います」

R「高校生年代最後のフットサル大会でしたがどうでしたか?」

北野選手「高校生のフットサル大会だとサッカーチームも出て来るのでやりづらい部分はありましたが、最後に結果を残せて良かったです」

R「今後、選手としてはどういう道に進む予定ですか?」

北野選手「僕はオーシャンズのサテライトに決まっているんですが、これからもっと上を目指して頑張りたいです!」

<愛知県選抜U-18・10番 水野拓海選手>

R「優勝おめでとうございます。今の気持ちは?」

水野選手「嬉しいの一言です」

R「今までタイトルは取ってきましたか?」

水野選手「中学校の時は取らせていただきましたが、それは先輩たちのお蔭というのが大きくて、自分が最高学年で取れたのは今回が初めてです」

R「高校生最後の大会で結果が残せたわけですね。水野選手は正にその中心になって活躍していましたが、自分の強みはどこだと思っていますか?」

水野選手「身体の強さなので、それを全面に出してキープして、みんなの上りを待ったり反転してシュートしたり、点を取ることを重視しています」

R「今まではサッカーとフットサルの両方をしてきたんですか?」

水野選手「サッカーは小学生の時だけで、中1からはフットサルだけです。U-15から名古屋オーシャンズに入らせてもらって」

R「今回、サッカー強豪の鹿島学園との対戦がありましたが、サッカーチームと試合をすることはどう感じていますか?」

水野選手「負けられないのは当たり前だと思っています。負けたらフットサルをやっている人たちに失礼だと思うので、勝つことが重要だと思います」

R「どういうところにサッカーとフットサルの違を感じますか?」

水野選手「パス回しとか連動が違うと思います」

R「今後の目標を教えてください」

水野選手「名古屋オーシャンズのサテライトに行ってトップに上がれるように頑張ります!」

IMG_0475 (2)

<東京都ユースリーグ選抜U-18・18番  清水竣生選手>

R「決勝戦は2-4という結果になりましたが、感想をお願いします」

清水選手「個の差が出ましたね。自分たちもある程度の個はあったと思うんですが、相手の個の方がずば抜けていて、自分たちはそれに圧倒されて負けた感じですね。1対1で抜かれて失点したシーンもありましたし、そういう所で負けなかったらもっと点差は縮まっていたし、もしかしたら勝っていたかもしれない」

R「東京開催という点は意識しましたか?」

清水選手「やっぱり地元なので、みんなとしても気持ちは高まっていましたね。俺らのホームだし、やってやろうという気持ちはありました」

R「森監督についてはどういう気持ちですか?」

清水選手「個性がバラバラの僕たちを上手くまとめてくれて、一致団結させてくれたのは森監督なので感謝しています」

R「ご自身のパフォーマンスについてはどう思っていますか?」

清水選手「僕はこれから先Fリーグでやりたいと思っているので、今大会でも、もっと違いを見せたり勝負を決められる存在になりたかったです。僕はまだまだ努力をしていかないと上では通用しないし、同年代でもレベルが高い選手がたくさんいるので頑張らなければと改めて思いました」

R「今後の目標を教えてください」

清水選手「これからもっともっと努力して、Fの舞台で戦えるように頑張りたいです!」

文・写真:futsal R編集部

<編集後記>

今大会では、愛知県選抜U-18の選手たちの「『フットサル』をやっているからこそサッカーが巧いチームに負けたくない」という思いが見事に実った。あのFリーグ・名古屋オーシャンズの下部組織といっても、セレクションなしでフットサルを続けてきている選手がほとんど。もとからサッカーエリートだったわけではなく、高橋監督も「足元の技術では鹿島学園といったサッカーチームには遠く及ばない」と語っていた。フットボールのボールタッチの技術が高いからと言って必ずしもフットサルで通用するわけではなく、フットサル特有の戦術に加えて、「認知」「判断」「実行」の質とスピードが勝敗を決める、そのようなことを思わせる大会だった。

今大会で活躍した選手たちが、今後どのようなフットサルの舞台で花を開かせるのか。このような全国規模の大会があることに感謝し、育成年代からのフットサルの更なる発展を多いに期待している。

2015年3月28日 | カテゴリー :

【対談】フウガドールすみだ 清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督×FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督 「高校生Fリーガーの原点を探る~後編~」

後編 『フウガドールすみだ 清水和也選手×FOOTBOZE FUTAL U-18 豊田幸夫監督』

兄の影響でサッカーを始めた清水選手は、中学1年でフットサルに出会い、Soleil FUTSAL望月充監督の下でその楽しさを知る。そして、高校生になってからはFOOTBOZE FUTSAL U-18で本格的な戦術・技術を学び、より一層フットサルへ情熱を注いでいく...。対談後編では、高校生、清水和也がFリーガーになるまでをFOOTBOZE FUTSAL U-18、豊田幸夫監督と共に振り返る。

 司会 では、ここからは高校時代の清水選手について話をうかがっていきたいと思います。清水選手は中学校までサッカーも続けていて、高校に入る時にフットサルを選んだということですよね?その動機は何だったのでしょうか?

清水 中学3年生のときのソレイユとして出場したフットサルの全日本ユース準決勝(東京都大会)で負けてしまった後に、それまでやってきたチームメイトと「もう一度このメンバーで全国大会に出たい」「日本一を目指したい」と話していたんです。なので、やっぱり高校でもこのフットサルのメンバーでもう一度プレーしたいというふうに思いました。そしてはっきり決断したのが、東京都U-15選抜で名古屋遠征をして、あのオーシャンアリーナで名古屋オーシャンズU-15とFリーグの前座試合をして、5-0で勝った時です。

司会 それは貴重な経験をしましたね。その後、高校に入学して、フットボウズに入ったんですね?そのきっかけは、やはりお兄さんでしょうか?

清水 はい、お兄ちゃんが先に入って頑張っているということも知っていましたし、お兄ちゃんがいるチームでやりたいなとも思いました。それに、東京都のU-18の中でフットボウズが強いというのも知っていたので、そこに入ってやりたいなと思いましたね。

司会 豊田監督は清水選手がフットボウズに入ることになった時どう思いましたか?

豊田 まず僕が和也に初めて会ったのは、和也が中1の頃です。望月監督も言っていたけど、初めの印象は明るい子でした。プレー面での印象はほとんどなくて(笑)。でも、キャラクターとして、パーソナリティーとしての印象はとても強かったです。U-15リーグで対戦した時に、ゴレイロの和也がコーナーキックの時に上がって来てシュートを決められたこともあり、シュートの上手さは感じていました。その後、和也がフィールドプレーヤーとして出場した全日本ユース準決勝を観た時には、シュートへの持っていき方に高いポテンシャルを感じていたので、フットボウズへの加入が決まった時は純粋に嬉しいなと思いました。

司会 清水選手は、フットボウズに入って、まずどんなことを感じましたか?

清水 簡単な戦術面はわかっていましたが、本当のフットサルを知らないまま入ったので、マークの受け渡しなどフットサルならではの戦術に一番難しさを感じました。入った当初は戸惑っていましたね。

司会 豊田監督は清水選手をどういう風に育てていきたいと思いましたか?

豊田 ソレイユでフットサルの楽しさや基礎的な部分を学んできていたので、まずはそこの継続性を大切にして、和也に先輩ができていることを要求するというよりも和也が持っているものを継続してゆっくりと(フットボウズの戦術を)理解させていきたいと思っていました。ソレイユでやってきた「前プレ」、「点を取ること」に関しては、先輩たちより圧倒的にできていました。その点はフットサルで一番大事なところだと思いますしね。春先に和也と伊賀(フットボウズ・フットサルU-18所属)が入ってきて、ペスカドーラ町田アスピランチとの試合で「二人の方が、プレスが出来ているよね」と先輩たちに言った記憶があります。和也と伊賀のプレーの方が基準だよね、と思いましたし、先ずは彼の長所を大事にしてやっていこうかなと思いました。

司会 フットボウズに入ってまた新たに先輩が出来たと思いますが、コミュニケーションは上手く取れましたか?

清水 近い歳のお兄ちゃんもいましたが、結構歳が離れている先輩たちもいて、その中でどうやって自分を出していくかはすごく心配でした。でも、優しく声掛けてくれましたし、ここはもっとこうした方がいいよとアドバイスもくれました。なので、すごくやり易かった印象があります。

司会 フットボウズでは下のカテゴリーもあります。入ったと同時に後輩も出来たわけですが、後輩たちとはどうでしたか?

清水 後輩たちの方が、フットボウズ歴が長いこともあって本当に舐められていましたね(笑)。先輩ではなくタメとして話しかけられました。僕自身そういうのは嫌いではないので、ふざけながら絡んでいったのを覚えていますね。

司会 いい雰囲気が出来ていたんですね。そこに一緒のタイミングで入った中学からのチームメイト、伊賀君の存在は清水選手にとってどんなものでしたか?

清水 同い年の存在がいるというのは、やっぱり心の支えになっていましたね。どうしても上手くいかないときにはアドバイスも貰っていました。ちょうど前と後ろ(ピヴォとフィクソ)の関係で、後ろから観た僕の印象をはっきりと言ってもらったり守備の面ではちゃんとやれよと怒られたりと、いい関係でやれたのかなと思います。

司会 フットボウズに入って特に良かったと思ったのはどんな所ですか?

清水 フットボウズではオープンリーグなど大人との対戦も多かったので、そこでフィジカルや経験の差を痛感して課題が明確になったのが良かったですね。それに、オープンリーグはどのリーグと比べても一番難しいリーグだと思うので、そのカテゴリーでやれたのは大きかったのです。

司会 そのオープンリーグでの経験というのは、今にも活きていますか?

清水 はい、オープンリーグは体育館ではないので言い訳ができません。雨が降って濡れていても試合をしなくてはいけないんです。それでも、自分たちのプレーをしなくてはいけないわけです。コンディションの悪い中でもチームとして一つになって、目標に向かうというのは今のチームでも活きていますね。

司会 U-18カテゴリーでは印象的な出来事や試合はありましたか?

清水 高校1年の頃のU-18冬の大会で、その時の全国高校サッカー選手権の全国大会に出場した國學院久我山高校との試合ができたことです。國學院久我山の選手たちはどんな感じの選手、チームなんだろうと思っていましたが、やってみると意外とやれるなとも感じました。結果は2-3で負けてしまったのですが、こういうチームを倒していかないと日本一にはなれないなと思いました。

201301東京都ユース「久我山戦 和也」 (2)

東京都ユース、國學院久我山戦での清水選手。2013年1月(高校1年)

司会 豊田監督は、清水選手と一緒にやっていた時期で印象深い出来事、試合はありますか?

豊田 和也が1年の頃の國學院久我山戦もそうですし、2年の頃の冬の大会での決勝トーナメントのサッカー強豪チームとの3連戦(町田JFC、國學院久我山、駒大高校)は印象深いですね。去年(清水選手が1年生の頃)のチームは和也に頼ってしまうチームでした。冬の大会も2セット組んではいましたけど、怪我人が出たので和也をほとんど出ずっぱりで使ってしまい、決勝の駒大高校戦で和也に負担がきてしまいました。全国大会が掛かっている決勝戦だけに、もう少しうまくコントロールできたらよかったかなと思います。やっぱり去年の冬の段階で、和也は高校サッカー部全国大会レベルに対しても普通に勝っていたんですよね。そのポテンシャルの高さでの話で言うと、和也が高校2年でハーレンフースバル(5人制屋内壁ありサッカー)に出場し、柏レイソルユースや西武台高校などその年代のフットボールのエリートと対戦しても普通に個で勝っていた和也を見て、「和也を早く上のステージに送るか、U-18年代のフットサルにおいてこの水準の環境を作ってあげなくてはいけない」と痛感しました。

司会 清水選手は、フットボールエリートとやってみて、フィジカル差や個人能力の差は感じましたか?

清水 フィジカル差はあまり感じなく、普通に出来たところはありました。でも、シュートのコンパクトさやサッカーならではのシュートレンジの広さ、シュートでの駆け引きにはすごく差を感じましたね。

司会 大人やフットボールエリートとの試合を多く経験して一回り大きくなった清水選手、高校2年生の冬にはフウガすみだバッファローズに入ることになります。バッファローズに入るきっかけは何だったのでしょう?

清水 高校1年生の頃にフウガすみだバッファローズと練習試合ができることがあって、豊田監督が相手チームの須賀監督に今日のMVPを決めてほしいとお願いしたところ、僕が選ばれて色々なアドバイスを貰いました。それが須賀監督との初めての出会いでした。そこから何回か須賀さんとお会いして話す機会もありました。また、お兄ちゃんがフウガすみだバッファローズのセレクションに合格したのですが、人が足りないとのことで助っ人として練習に参加したこともあって、フウガへの加入を勧められようになりました。

司会 加入前のフウガの印象は?

清水 関東リーグを観に行く機会もあったのですが、フウガのフットサルは圧巻で、スピード感も違うし切替えの速さも違いました。中でも衝撃を受けたのが、ピヴォの安定感です。太見さんや神尾さんというピヴォを高校一年ころから観られたのは良かったです。自分とは差があるなとも思いましたし、観ていて楽しくて、これがトップレベルのフットサルなんだなと思いました。

司会 フウガに入って、トップ、バッファローズの選手とやってみてどうでしたか?楽しかったですか?難しさも感じましたか?

清水 やはり入った当初から戸惑っていました。スピード感も違いますし個人のレベルも高かったので、最初は本当にミスが多かったです。でも、やっていく中でそのスピード感にも慣れて、自分の特徴でもある前プレもできるようになってきて、僕でも通用するんだなとは思えるようになりました。

司会 そして遂にFリーグデビューを果たしました。今、どんな気持ちですか?

清水 フットサルを始めてからずっと持っていた「Fリーグのピッチに立つ」という夢が、まさかこんな早さで叶うなんて思っていなかったですし、素直に嬉しいです。これも、育ててくれた親や監督たちの応援や支えあってのことだと思うので、たくさんの人に感謝したいです。高校2年でフウガに入った頃は、僕としては専門学校に行きながらフットサルを続けるつもりでいたんですが、やっていくにつれて一人のフットサル選手としてやっていきたいと思うようになったんです。プロじゃなくてもやり続けて、ゆくゆくはプロ契約できるようにしたいなと思っています。(2014年)11月の時点で、フウガの仕事をしながら選手としてやっていきたいと須賀監督とも話して、一人のフットサル選手としてやっていこうと決心しました。不安なこともありますが、やってみないとわからないので、突き進むしかないなと思います。

司会 高校の友人たちが進学準備を始める中で、清水選手は大きな決断をしたわけですね。ご家族には反対されませんでしたか?

清水 両親ともに本当は反対だったというか大丈夫なのかと心配をしていたようです。でも、自分がフットサル選手としての夢を捨てきれないということを話して、フットサル選手として結果を見せていくうちに理解してくれるようになりました。今では背中を押してくれますし、遠征から帰ってくるとどうだったのか聞いてきてくれます。また、僕がTwitterなどで告知することもあってか、お母さんがTwitterを始めるようにまでなりましたね(笑)。

司会 望月監督、豊田監督は清水選手の決断を聞いたときはどうでしたか?

望月 フットサルだけで食べていくということが難しい中で、フウガの仕事であるスクールコーチなどをしながらある程度のお金が貰えて、フットサルを続けていける環境があるのはいいことだと思いました。

豊田 和也自身も言っていたようにどうなるか分からないものにいくというのは、恐怖感があると思います。けど、自分や望月監督に置き換えてみても、全く何からも守られることもなくやってきているし、会社に入ったから守られるわけではないし、大学に行ったから何になるわけでもないし、結局はその時々の社会からの評価で生きていかなくてはいけません。現時点では、フットサル選手として食べていける選手は少数かもしれないけど、和也はやりたい事が明確で覚悟をもってその道を進んで行こうとしている。それだけで、同年代の高校生たちに比べて圧倒的にリードしていると思う。その後は自分の責任でやっていくしかないね。さらに、リスクあることに挑戦している18歳を周りの大人は応援したい、支えたいと思うはず。かつ、僕のようにフットサル選手を育てている大人としては、和也だけではなくこれから出てくるであろう子たちのためにも、フットサル選手がしっかりとご飯を食べていけるような環境を作っていかなければという使命感も感じますね。

司会 最後に望月監督、豊田監督にうかがいます。清水選手には、どんなプレーヤーになっていって欲しいですか?

望月 日本代表を目指してほしいですし、プロになって欲しいですね。本当にチャンスがあれば海外、特にスペイン、ブラジルの一流のリーグでプロとしてやって欲しいなという気持ちはありますね。

豊田 この年代のフットサルの顔になって欲しいなと思います。この年代で一歩リードしてU-19日本代表にも入って欲しいです。5年後の2020年フットサルワールドカップ開催地に名古屋が立候補しています。その日本で開催されるワールドカップで、ある程度メディアが注目する中で、スター選手が出ることでフットサルが盛り上がると思います。和也がそのスター選手の一人になり、和也の活躍を見た子どもたちが「フットサルのワールドカップに出たい」と言うようになってくれたら最高ですね。

DSC04574

最高の笑顔で最高のお話を聞かせてくださった望月監督(左)、清水選手(中央)、豊田監督(右)、本当にありがとうございました!

【フウガドールすみだ 清水和也選手プロフィール】 1997年東京都生まれ。小学校4年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。小学6年の時、同じく中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始め、東京都ユースU-15フットサルリーグ選抜に選ばれる。高校入学と同時に東京都三鷹市のクラブチーム、FOOTBOZE FUTSAL U-18に入り、高校1年で東京都ユースU-18フットサルリーグ選抜。高校2年のシーズン後半にフウガドールすみだバッファローズにも登録出場し、東京都U-23選抜にも選出される。高校3年の4月、フウガドールすみだでFリーグデビュー。今春、高校卒業予定。

【FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督プロフィール】 1972年岩手県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。同年、ソニー・クリエイティブプロダクツ入社。1998年FOOTBOZE FOOTBALL設立。2003年FOOTBOZE FUTSAL設立。東京都ユース(U-18)フットサルリーグ1部・優勝5回(2009・2010・2012・2013・2014)。東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・優勝2回(2012・2013)、ユースフットサル選抜トーナメント2015全国大会出場決定(全国大会は2015年3月24日・25日に墨田区総合体育館で開催)。2014年度東京都U-14フットサル選抜監督。

編集後記>

記事にはしなかったが、今回の対談では、望月監督と豊田監督にこんな質問もしていた。「清水選手には(プレーヤーとしてではなく)人としてどう成長していって欲しいですか?」これに対するお二人の答えはただ一言、「今のままで」。ここに清水選手の人となり、恩師たちとの信頼関係が象徴されているように思う。

清水選手はフットサル選手としてはまだスタートラインに立ったばかりだが、近い将来、きっと日本を代表する選手になっているだろう。フットサル選手として生きて行くという強い「覚悟」を持ち続け、その勇姿を子どもたちに見せていって欲しい。

清水選手、望月監督、豊田監督、futsal Rの対談にご協力いただき、本当にありがとうございました!皆様の益々のご活躍をお祈りしております。

文・写真:futsal R編集部

2015年3月5日 | カテゴリー :

【対談】フウガドールすみだ 清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督×FOOTBOZE FUTSAL U-18 豊田幸夫監督 「高校生Fリーガーの原点を探る~前編~」

DSC04576 (3)

清水和也選手(フウガドールすみだ)

高校3年でFリーグデビューを果たし、その若さと得点力で注目を集める清水和也選手だが、Fリーガーになる以前の彼はどんな人間で、どんな選手だったのだろう?小学校、中学校時代からすでにその才能の片鱗を見せていたのだろうか?それらを探るべく、清水選手と中学時代の恩師、高校時代の恩師にお集まりいただき、話をうかがった。全員が旧知の仲とあって、対談は笑顔に包まれた和やかな雰囲気で始まった。

前編『フウガドールすみだ  清水和也選手×Soleil FUTSAL 望月充監督』

司会 今日はよろしくお願いします。早速ですが、まずは清水選手の子ども時代についてお話を聞かせてください。サッカーやフットサルに出会う前の清水和也はどんな子どもでしたか?

清水 お兄ちゃん(清水誠也選手・フウガドールすみだバッファローズ所属)が居たので、いつもお兄ちゃんにくっついて行動していました。テレビゲームをすることもあったけど、お兄ちゃんと一緒にボールを持って出かけることが多かったです。土日は朝の9時に学校の校庭が開放になるので、すぐにボールを持って遊びに行き、12時にお昼ご飯を食べに帰って、また夕方5時までボールを蹴るというのがほとんどでしたね。

司会 活発な子だったんですね。サッカーは小学校に入ってすぐに習い始めたんですか?

清水 いえ、お兄ちゃんが小学6年生の時にサッカークラブに入ったので、僕もその時一緒にそのクラブに入ったんです。僕が4年生の時です。それまではサッカーを習ったことはなくて、近所の大人たちと学校でボール蹴ることがサッカーでした。

司会 つまり、ブラジルの子供たちのようなストリートサッカーではないけどエンジョイフットボールのようなものをやってきたのですね。4年生になって初めてサッカークラブに入った時、周りの子どもたちと自分とのレベル差は感じましたか?

清水 入る以前に大人と戦っていた分、他の子たちよりか頭一つ分出ていたのかなというイメージがありますね。今でも鮮明に覚えているんですが、サッカークラブに入った最初の公式戦では、一人でどんどん攻め入って11点決めたんですよ。

司会 11点!それはなかなか出来ることではないですね。さて、次にフットサルとの出会いについて教えてください。

清水 当時中学2年の兄が、新しく出来たソレイユというフットサルチームに入ったので、僕も遊び感覚で入ることにしたんです。それが小学6年の終わり頃です。

司会 なるほど、サッカーに続いてフットサルもお兄さんの影響で始めたわけですね。当初は遊び感覚だったということですが、実際にソレイユでプレーしてみて「これぞフットサル」のようなものは感じましたか?

清水 足の裏でトラップをするっていうことは今までの自分の中で経験がなかったので、驚きを感じました。足裏トラップをすることでフットサルを知ることにも繋がったと思います。

司会 それではここで、ソレイユ・フットサルの代表でいらっしゃる望月監督にもお話をうかがいたいと思います。まず、ソレイユ・フットサルを立ち上げ、清水選手が入ってきた時の印象を教えていただけますか?

望月 和也は明るく活発で、今よりポッチャリしていました (笑)。繊細な兄、誠也とは真逆のイメージでしたね。プレー面では、足元のあるプレーヤーだなと思いました。

司会 清水選手の良さを引き出すような練習というのは特別にしていましたか?

望月 一切してないですね(笑)。最初、兄の誠也に一度ゴレイロをやらせたことがあって、その影響なのか、和也は入ってすぐに、ゴレイロをやりたいと言い出しました。なので、最初の半年や一年はゴレイロトレーニングを多くやっていて、上の学年ではゴレイロがいないということもあり、ゴレイロで多く試合に出していました。

司会 ソレイユでは、どのタイミングで清水選手をフィールドプレーヤーとして使おうと思いましたか?

望月 本当はゴレイロでもフィールドでも使いたいと思っていました。でも、ゴレイロがいないので、ゴレイロをやってもらっていたんです。ですが、途中いい人材が見つかったので、そこからは主力で和也をフィールドプレーヤーで使うことにしました。和也を中心にというか「困ったら和也!」という戦術をやっていました。

司会 清水選手は、「困ったら和也!」は感じていましたか?

清水 ソレイユには元々しっかりとしたフィクソもいたので、前三枚、後ろ一枚のスリートップのようで、守備もしないで攻撃だけするような戦い方でした。個人的にはすごくやりやすかったですね。

司会 自由にプレーできていたんですね。練習の時はどうでしたか?

清水 そうですね。お兄ちゃんがいることもあってか調子に乗ってしまう部分もあって、普段は怒らない望月監督にも怒られました。望月監督が話しているのにも関わらず、下級生でもある僕が望月監督の話を聞かないでボールを触っていて、「お前、そんなに上手くないのに話聞かなくていいのか!」と言われたこともありました。

望月 そんなこと言ったの覚えてないなー。相当態度悪かったんだと思うよ(笑)。

DSC04544 (2)

Soleil FUTSAL望月充監督と清水選手。懐かしいエピソードに笑みがこぼれる。

司会 今の清水選手からは想像できないですね。ソレイユの活動を通して、一番印象深かったこと、思い出に残っていることは何ですか?

清水 中学3年生の夏にやった全日本ユースの準決勝でコンフィアール町田というチームに負けちゃったんです。中学最後の大会でしたし、全国大会を目標にしていたので、何としても関東大会に行きたかったんですけど、負けて、「終わっちゃったんだな」と・・・悔しい思い出です。

司会 望月監督は何が一番印象に残っていますか?

望月 和也と同じですね。その大会の2位までが関東大会に進めるんですが、準決勝では途中まで負けていて、追いついて、引き離されて・・・試合終盤に和也がシュートを入ってゴールには入ったけどブザーの後でノーゴールという判定になってしまったんです。それが入っていればPK戦になっていたはずです。後味の悪い試合になってしまい今までで一番悔しかったけど、一番ヒートアップした試合で楽しくもありました

司会 清水選手はどうでしたか?

清水 僕ももちろん楽しかったんですが、やりきった感じがありましたね。僕もまだ子どもだったので審判に文句を言ってやろうかと思ったのですが、試合後は燃え尽きた感じで、頭が真っ白になって「この先どうすんだろうな」と考えましたね。

望月 試合後に(ソレイユ所属の)○○が文句言って、退場になったよね(笑)。

清水 そうなんです。○○が試合後に退場になりました。

(一同爆笑)

司会 ソレイユで練習や試合を重ねる中で、清水選手は望月監督からいろんなことを学ぶことができたと思います。

清水 はい、やっぱり僕が「フットサル」というスポーツに出会ったのも望月監督のおかげでもあるので、感謝したいです。また、自由にやらせてもらっていたこともあって、「プレーで体現しろ」ということを教わったと思います。本当にのびのびやれた印象ですね。

司会 望月コーチは、自由にやらせてあげるのが清水選手に合っていると思ってそうしていたのですか?

望月 和也にというよりかは、ソレイユのチームカラーという感じですね。前からプレスにいくっていうことと一対一で負けないこと、責任を持ってプレーするのであれば、後は自由にやっていいとは常々全員に言っていました。オフェンスの練習はほぼしてないんです。けれど、守備の基本はやらないと勝てないのでほぼ守備練習に充てていました。8割9割守備練習ですね。

清水 後は柔道場でのフィジカル練習ですね(笑)。

望月 ハーレンフースバル(5人制屋内壁ありサッカー)だったね。

清水 あれが最初でしたね(笑)。

司会 さて、清水選手はソレイユを離れ、高校からはフットボウズ・フットサルU-18に入ることになります。望月監督は、外から清水選手のプレーを見てどう感じましたか?

望月 ソレイユでは、「守備では前プレ、攻撃では自由にやっていい」前提のもとにフットサルの基本的なところしかやっていなかったのですが、フットボウズに入ってしっかりした戦術を学ぶ中で、より和也にフィットしたフットサルが出来るようになっているなと思いました。

司会 技術的な面でも成長を感じましたか?

望月 高校生になってからはソレイユでゴレイロコーチを和也にやってもらっていたんですが、成長しているなと感じたのは、ゴレイロへのシュート練習のときですね。シュートの正確さはやはり大事だと思いますし。一方で、全く成長していないなと思ったのは、兄弟喧嘩。兄・誠也もソレイユでコーチをやっていたのですが、練習中にコーチ同士、兄弟喧嘩を始めてしまうんですよ(笑)。ソレイユの中で一番コーチ同士が喧嘩しているんじゃないかというくらい多かったですね(笑)。

【フウガドールすみだ 清水和也選手プロフィール】 1997年東京都生まれ。小学校4年生から東京都中野区の上鷺宮フットボールクラブでサッカーを始める。小学6年の時、同じく中野区のフットサルクラブSoleil FUTSALでフットサルを始め、東京都ユースU-15フットサルリーグ選抜に選ばれる。高校入学と同時に東京都三鷹市のクラブチーム、FOOTBOZE FUTSAL U-18に入り、高校1年で東京都ユースU-18フットサルリーグ選抜。高校2年のシーズン後半にフウガドールすみだバッファローズにも登録出場し、東京都U-23選抜にも選出される。高校3年の4月、フウガドールすみだでFリーグデビュー。今春、高校卒業予定。

【Soleil FUTSAL望月充監督プロフィール】 1985年東京都生まれ。2007年、東京工学院専門学校スポーツ健康科保育士幼稚園教諭コース卒業。2007年北中野中学校サッカー部の補助活動として、Soleil FUTSALを設立。2011年と2013年に東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・準優勝。2014年、東京都ユース(U-15)フットサルリーグ1部・優勝。2014年度東京都U-15フットサル選抜監督。

文・写真:futsal R編集部

<後編『清水和也選手(フウガドールすみだ所属)×FOOTBOZE FUTAL豊田幸夫監督』へ続く>

2015年3月1日 | カテゴリー :